大音量で店の外にも流している昭和歌謡。失礼ながら小ぎれいとは決して言えない店の内外装。変わった趣味の人間か、店選びに疲れて自棄になったときでもなければ、わざわざ入ってみようとは思えない佇まいである。 この店のある南北の通り(関西的には「筋」)は、昼どきに店を物色していてしょっちゅう歩く。今まで目もくれたこともなかったが、あるとき、昼めしを終えた客が外に出てくるときに通りがかり、店内の異様な混みように目を奪われた。なんでこんなに繁盛しているのか、この音楽は一体全体・・・。 その日は結局、店内に入る気が起きなかったけれど、いつも頭の片隅にひっかかっていた。で、それから数週間後、客として初めて入ってみたのだった。 昼どきのピークはだいぶ過ぎて、午後1時はとうに回っている時間だったと思う。にもかかわらず、席は8割がた埋まっていた。カウンターだけの細長く狭い店で、椅子は10あるかないかぐらい。 夜は居酒屋になるようで、ホワイトボードに今夜のメニューが書かれている。一番下に「マスターの下手な手品 ¥50」とあるのが真っ先に目に入った。うーむ、いけてない、と思う。 この店が昼はちゃんこ屋だったことを知らずに入ってしまったことに、いま気づいた。貼り紙に「ちゃんこ定食 ¥500」とある。ワンコインである。いかにも安い。ぞうすい、麺、つみれのトッピングが100~200円でできる。小さなガスコンロが各席に据えてあって、いわゆる一人鍋スタイルになるようだ。 とにかく注文してみることにして、鍋が煮えるのを待つ。野菜が大盛りでなかなか煮えない。だいぶ待つあいだ、手持ちぶさたで店内を見回したりするものの、実のところまったく退屈しないのである。それは他ならぬBGMのおかげである。 たぶん有線放送なのだろうが、かかるのは昭和歌謡ばかり。平山みき、井上順、由紀さおり、ドリフ、シンシア、久保田早起・・・。ドリフとは黒人コーラスグループThe Driftersのことではないし、シンシアは外人ではない。こんなこと、いかにも蛇足であるが、平成生まれの若人も読むかもしれないので、いちおう書いておく。説明になってないけど・・・。 筒美京平はやっぱり天才だなぁ、この頃の人はみんな歌うまいなぁ、異邦人が流行ってたときに金八先生が始まって・・・あ、そうそう、飛んでイスタンブールとか、魅せられてとか、その手の異国趣味の曲が多かったなぁ、八神純子、好きだったなぁ、山下達郎のマクセルのCM、強烈だったなぁ、それにしてもYMOにはかぶれたなぁ・・・・・・脳内タイムトリップに浸っているうちに、瞬く間であったかのごとく鍋が煮えた。 がつがつ食って、ワンコインを払う。元気を取り戻して店を出る。昭和歌謡を鼻歌に・・・。 え、味の説明がないって? とにかく、行って食うべし。ツボにはまる人には最高の店である。以上。
関西で蕎麦のうまい店を探すのは簡単ではない。砂場の元祖は大阪と言われているが、とうの昔に江戸へと移ってしまった。やたら高い店も許せない。せいろ一枚1000円近くしても当然だなんて、常軌を逸している。自家製粉だとか、石臼手挽きだとかで、わずかな量の馬鹿高い蕎麦をもったいぶって食わせたりする。どことは言わないが、そういうふざけた店は大阪にもある。東京だって大阪と似たようなもの、とは決して言えないが、値段と味が釣り合わない店は大阪以上で、異様に多い。うんちく抜きで、小腹が空いたときや風呂上がりに、気取りなくたぐってさっさと帰るような、普段づかいできるまっとうな店は、なかなかない。げに難しきは蕎麦、である。 だから大阪は蕎麦でなくうどんだろう、と言いたいところだが、これまた簡単ではないのである。値段こそ蕎麦よりは安いが、うまいのはだしであって、うどんの麺そのものは今ひとつ。たいがい香りもしないし、味もない。どこか遠くの国から運ばれ、殺菌燻蒸されて埋め立て地の大工場で粉になり、だいぶ時間が経ってから麺になる。そりゃ、味も香りも飛んでしまおうというものだ。調味料だの香辛料だのにこだわる人が増え、スーパーでも高価なものや多品種が揃うようになったが、小麦粉に限っては昔と変わらず非常に貧弱で選択の余地がない。もっと地粉が出回ってくれればいいのに、といつも思うが、薄茶色をしていると気味悪がられて売れないからだろうか。洗剤や歯磨き粉じゃあるまいし、漂白された輝く白さなんて食いもんには要らないはずなのに、ともかく不思議だ。 ともあれ蕎麦はうどんに比べれば、まだ素材の来由が怪しげでなく、その点ではましな方だと思う。あとは職人の技量と、麺料理として妥当な値段であるかどうか、だろう。大阪で蕎麦屋めぐりをしては失望を繰り返してきたが、ようやくまっとうな店を見つけた。「若木」である。 割烹のような外観で敷居が高そうに思えるが、心配は要らない。店内に入ると、コンクリート打ちっ放しの内装に、シンプルな和風調度が配してあって、ひと昔前のスタイリッシュなカフェバーを思わせる。照明を落としてあり、卓上に余計なものを置いていないためか、これが蕎麦屋か、と新鮮な驚きをおぼえる。勝手な想像だが、店は息子の代になっていて、その若い感覚でつくられた店なのだろう。なぜかと言えば、店内にお婆さんがいて、いかにも母親だと思えたからだ。スタイリッシュな内装に、レジ番をするお婆さんが何ともミスマッチで、ほほえましい。 「せいろ」に「かけ」に「にしん」、辛味大根を使った「おろし」、「鴨南ばん」や「かしわ」もある。珍しいのは「梅とじ」で、年配の客がよく頼んでいる。卵とじの上に梅干しがのったように見える。次に行ったときには試してみたいと思う。 蕎麦自体は、手間をかけているに違いないとは思うが、それを感じさせない自然でシンプルなもの。だいたい蕎麦に妙な特徴や個性なんて要らないとも思う。割合は二八ぐらいだろうか、のどごしと素材の持つ風味を活かしてあって、頻繁に食べに行っても飽きることがない。気が向いたらいつでも食べたいと思わせる、これこそ普段づかいできる蕎麦だ。 ランチタイムには、日替わりのごはんとだし巻きのセット「ひるげ」(250円)をつけることができる。日替わりのごはんというのは、混ぜごはんだったり炊き込みごはんだったりと、店に行くときにはいつも「今日は何のごはんかな」と待つ楽しみがある。うどんもあるが、まだ頼んだことはないので、ここに感想を書くことができない。 夜は「江戸堀ナイト」という晩酌セットがあるそうだ。酒類と付き出し3品と好みの蕎麦がついて1,800円。行かねばなるまい。
今から1年以上前のある時、肥後橋駅から土佐堀通り沿いに歩いていたところ、こんな看板が目にとまりました。
路地裏に店があり、大通り沿いに置いたこの看板で、客を招き入れているようでした。時代に取り残されたかのような細く暗い路地裏で、ちょっと薄気味悪くて店に入る気が起きませんでした。 肥後橋に戦前からやっている渋い喫茶店があるという情報も、知人から聞いていたのですが、それとあの店が頭の中で結びつくまでに、まただいぶ時間がかかりました。 ついにこの店の客となったきっかけは、魔がさしたのか何なのか、今となっては思い出せません。吸い寄せられるように店に入り、とにかく一人のファンとなってたびたび足を運ぶ店になりました。
手づくりサンドイッチの店です。年配のマスターが時間をかけて一つ一つ丁寧に作り上げます。サンドイッチだからといって、ここのはファストフードではありませんから、急ぐ時にはやめた方がいいでしょう。都会のエアポケットのような立地で、コーヒーでも飲みながらゆったり待つのがふさわしい気がします。 サンドイッチの種類はたくさんあります。一番安いもので500円から。ビフカツサンドなどはもう少し値が張ります。100円バーガーやコンビニのおにぎりが幅を利かす世相ですから、500円以上するサンドイッチとはいかにも高いと思われるでしょうが、当然ながらそんなのと比較すること自体が間違いで、まったくの別物です。米兵のいる街で食べる分厚くジューシーなホームメイドバーガー、老舗のバーでつまむカツサンド、オカンがつくる不格好なおにぎり等、どれもみな食べることの歓びを教えてくれる手づくり軽食です。 老マスターは「お待たせしてすみません」といつも平身低頭で客に応対します。跡を継ぐ人はいないのだろうか、年格好からするといつまでこの店を続けてくれるのだろうかと、失礼ながらも心配になります。サンドイッチをあれほど精魂こめて、命を削るように作り上げる人に、私はこれまで出会ったことがありません。 テイクアウトもできます。近くの靱公園でなごみの野外ランチを楽しむのもまた良し。人に教えたいけれど、繁盛しすぎてマスターの寿命を縮めてはいけないというジレンマに悩まされる店です。 ビクトリーでゆったりとした時間を過ごしたあと、土佐堀通りの一本裏通りを散歩がてら歩いていたら、こういう建物に出あいました。