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古書往来
54.大正モダンを駆け抜けた画家、吉田卓と森谷均の若き日の交流

さて、この草稿を書いている途中に、懸案の本の仕事がやっと校了になったので、私は実に久しぶりに大きな古本展に出かけることができた。11月下旬に芦屋美術博物館で開かれた即売会で、特集テーマは「モダニズムと装幀」である。言い訳になるが、創元社から12月中旬に出た橋爪節也編著『大大阪イメージ』470頁の大冊の仕事に夏前から追われ、秋の知恩寺の古本展にも出かけられなかったのだ。古本者失格寸前であった。といっても、二日目だったので、いい本は初日にとっくになくなっていただろうが、何か残りものに福はないだろうかと、半日近くゆっくりと見て回った。

書苑よしむらさんのコーナーでふと目に止ったのが、内田巌『物射る眼』(昭16、立命館出版部)500円!であった。私は思わず、「おっ、これは!」とつぶやいた。というのは、前述の谷藤氏の解説の中に、吉田卓の親友であった内田巌が『中央美術』(昭4、4月号)に書いた吉田への追悼文「それはそうだけど僕の方があれ達より善良だ」からの引用文が載っていたので、記憶に残っていて、「ひょっとして…」と思ったからだ。すぐに、本書の多様なエッセイ集の目次をのぞくと、案の定最後の方に、丁度その同エッセイが収録されているではないか! 何とラッキーな偶然であろうか!(これも例のシンクロニシティか?)。すぐに大事に小脇にかかえたのは言うまでもない。

内田巌『物射る眼』表紙
内田巌『物射る眼』表紙

他にもわずかな収穫として『小野元衛』(志村ふくみの弟の夭折した画家)の図録やロードス書房に目録で注文しておいた『聞き書き 神戸と文学』(1979年、神戸「人とまち」編集室刊)という珍しい本も当っていたので、買って帰った。後者は神戸文学史の貴重な資料となるものだ。

本書は親友、小磯良平による内田氏像のデッサンを装画にした装幀で、序文は師であった藤島武二と友人、猪熊弦一郎が書いており、自序によれば森暢が編輯し、哲学者、大島康生や矢内原伊作が校正を担当してくれたという。豪華なメンバーである。これが第一随筆集で、多くの人の友情から成った出版のようだ。内容は15年間にわたって主に美術雑誌に発表されたもので、本格的な芸術論から、風景や紀行の憶い出、野田英夫や藤島武二論、父、内田魯庵の思い出の数々(これは読みごたえありそう!)、飼犬シヤロの死のことまで多岐にわたっている。文才もあった画家のものだけにじっくり読むのが楽しみだ。まずはとり急ぎ、本稿と関係のある6頁の随筆を読んだ。

内田氏はこの一文で、吉田卓のことを終始「タカッチャン」と親しみをこめて呼んでいる。「タカッチャン」は川端研究所では評判がよくなく、怖れいやがった人さえいた。ある日、氏は監事の富永先生に呼ばれ、親友の吉田の罪悪の数々をあげて、研究所の網紀粛正のために彼を除名処分にすると告げられる。それで驚いて彼の下宿に飛んで行き、急を知らせたという。処分理由の一つ、女を引っ掛けるから、というのも、彼の下宿に女の研究生がちょいちょい遊びに来ただけで、それも彼の日頃の偽悪ぶりから出たものであり、元来、善良なのによく誤解されていた、と弁護している。

内田氏はこんな証言もしている。「画を描く側らタカッチャンは童話詩を書いていた。童話や詩は彼の無邪気さと風格を偲ばせるに充分なもので先き頃の『アルト』に出てゐる『人間と云ふ奴は』等もその一つだった。」と。このように詩人的素質もあった人のようだ。ちなみに『アルト』は田辺茂一が昭和2年、新宿に紀伊國屋書店をオープンすると同時にその二階にギャラリーも開設、その展示で画家の友人がふえた田辺が、中川紀元、木村荘八らを同人に発行した美術雑誌で、昭和3年5月から昭和4年6月まで13号出た。(『田辺茂一と新宿文化の担い手たち』展図録による)前述のように、吉田卓も昭和2年5月、同ギャラリーで小品三人展を開いた関係で、寄稿を依頼されたのだろう。これは図録の自筆文献中にも出てこないので、いずれ探求したいものだ。

タカッチャンは恋愛においては、その純情的な一本調子でいつも失敗していた。服装などもがんばって画の仲間から「いつも高いカラー」をしていると非難されたが、彼は「其がんばりの一面に非常に女性的な優しさを持った人であった。」として、内田氏の家族への親切や子供への愛情をしみじみ回想している。ジャズやフォックススロットが好きだった、ともいう。そして、最後に氏はこう結んでいる。「その昔、不良少年として誤解を受けた彼であった。だが冥土へ行つても彼は彼の誤解者に向つて云ふだらう『それはさうだけれど僕の方があれ達よりも善良だ。』」と。この一文は吉田卓の生身の人柄を伝える貴重な文献である。

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