次に「結婚愛」という作品を紹介しよう。
高見が、本郷のプロレタリア系のある小規模な出版社から、マリー・ストーブス著『結婚愛』という、避妊法を扱った医学書の一部の翻訳の下請けを引受けてきて、新田や神山に応援を求める。友人で一年後輩の医学生Sにも相談役になってもらい、新田の下宿に集まっては三人でああでもない、こうでもないと議論しながら曲りなりにも分担分を仕上げて原稿を手渡す。それは、当時左翼的な医師として知られていた馬島|訳として出版されたが、下請け料がいっこうに入ってこない。業を煮やした三人はそこで一計を巡らし、演技力のあるマンセイと一緒に出版社に乗り込み、マンセイを留置場から出てきたばかりの左翼の同志に仕立てて一芝居打ち、おとなしそうな店主からまんまと三十円を出させてしまう。思わぬ大金が入った彼らは、豪遊したあげく、吉原にくりこむが、その頃はまだ純情だった高見だけ、逃げ出してしまう、という話である。この、本郷にあった小出版社とはどこだったのだろうか。たまたま、本校正中に目録で入手した林房雄『鉄窓の花』(昭5、先進社)の奥付を見ると、出版社の住所は本郷になっていた。時代的には符号するが……。 |