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古書往来
45.新田潤と青春の仲間たち ─ 高見順の恋愛とともに ─

今回もまたまたマイナーな作家についてなので、あきれる読者もおられると思うが、しばらくしんぼうしておつきあい願いたい。

新田潤という作家の本は以前から古本漁りで時々見かけたし、名前の響きがよく、また高見順と東大生時代からの親友だった ─ ペンネームも、二人で歩きながら、順と潤で分けあった、と高見順が何かの随筆に書いていたのを読んだことがある ─ 位の知識はもち合わせていたものの、今までその小説を殆んど読んだことがなかった。

「煙管」表紙
「煙管」表紙

とはいえ、昔、リーチで見つけた『煙管(きせる)』(昭21、文明社)という薄い中篇集だけは、古いタンスを描いた花森安治による趣ある装幀にひかれて買い、そのまま長いこと、仕事場の本棚の片隅を飾っていたのである。戦後すぐの本にしては紙質、印刷も割とよいし、奥付を見ると田宮虎彦が戦後、一時やっていた文明社刊というのにも興味を引かれた。

花森は東大美学部在学中、田宮や杉浦明平と一緒に「帝国大学新聞」の編集部にいたので、そのつながりで装幀を依頼されたのだろう。(ちなみに初期の花森の装幀本はどれも味のあるもので、古書好きの人で蒐集している人も多いようだ。南陀楼綾繁さんの新刊『路上派遊書日記』によると、氏もその一人である。)

ところが、昨年だったか、日本橋の古本屋で、私は川端要壽(ようじゅ)(※1)『昭和文学の胎動 ─ 同人雑誌『日歴』初期ノート』(1991、福武書店)という本を手に入れた。

これは、戦後、東京書籍の編集部で数学の教科書を造りながら小説を書いていた川端氏が、同社にいた『日歴』同人の古我菊治氏 ─ 戦前の『日歴』をずっと編集していた人 ─ や画家の同人で『日歴』の表紙やカットを描いた中尾彰氏その他数人の同人と密接な交流があったが、その『日歴』(昭和8年9月創刊)が平成元年12月に84号をもって終刊するという報に接し、この同人誌の歴史をちゃんと記録しておかねば、という使命感に駆られ、書誌的に詳しくまとめたものである。

「昭和文学の胎動 ─ 同人雑誌『日歴』初期ノート」カバー
「昭和文学の胎動 ─ 同人雑誌『日歴』初期ノート」
カバー

※1 古書目録によれば、川端氏は『堕ちよ!さらば』(昭56)という本も出している。


『日歴』は周知のように、初め荒木巍の主唱で、高見順、新田潤、大谷藤子、渋川驍、石光葆らによって創刊され、後に田宮虎彦、円地文子、矢田津世子、若杉慧らも加わった文学同人誌で、50有余年も続いた最長命の歴史をもつものだ。しかし、高見や円地を除けば、どちらかといえば地味でマイナーな作家たちの集まりとの印象が強い。けれども古本を漁っていると、これら『日歴』の作家たちの本に出くわすことがあり、それがどんな経歴の作家であり、作品集なのか、よく分らないので、買おうかどうか判断に迷うことが多い。この本は彼らの略歴やプロフィール、『日歴』毎号ごとの作品の紹介やその反響がいろいろ引用され、詳しく書かれているので、参考にしようと読み始めたのである。

その期待はかなりかなえられたのだが ─ 例えば、荒木巍や渋川驍の経歴や作品について ─ 早くも創刊号の内容紹介で、新田が30歳の折、『煙管』60枚を発表して評判になり、忽ち文壇で認められ、『文藝春秋』や『文学界』から小説を依頼されるきっかけとなったことが出てきた。私は、「煙管」がそういう記念すべき作品であったことを初めて知り、本棚に眠っていた『煙管』を数年ぶりに抜き出して読んでみると、確かにぐんぐんひきこまれる小説だった。ここでは戦後の『日歴』の編集発行人、石光葆氏(※2)が新田の追悼文中で紹介している簡潔な要約を引かせていただくと(ズボラですみません。)、「日露戦争から大正、昭和と激動する時代の波を背景に、山国の小さな城下町のはずれの頑固者の鍛冶屋が頑固者の馬車屋に作ってやった刀豆煙管(なたまめきせる)を軸にして、地の文にまで方言をまじえたユーモラスで風刺に富んだ小説」とある(『日歴』73号、昭53、11月)。ダイナミックな歴史のうねりを感じさせる骨太で迫力ある作品であった。併録の「あっちの方」も同じような奥深い長野の村を舞台にして、御維新から昭和までを背景に、ある庶民の女性の波乱に満ちた悲劇的一生を描いたものだ。(「あっちの方」とはあこがれとしての東京を指す。)これは『日歴』6号に出たが、発禁になったという。「川」も同傾向の作品。

※2 同書や石光著『高見順』(昭44、清水書院)の略歴によると、石光は明治40年広島に生まれ、神戸二中から広島高校に進み、昭和7年、東大国文科を卒業する。博文館に入社し、その後も中央公論社や朝日新聞社で編集に従事した。著書に『明暗の境』や『若い夢』などがあるが未見。実は二年程前の京都知恩寺の古本祭りの折、私はモダンな表紙意匠の『移動風景』(昭3、3月号)という広島刊の珍しいプロレタリア文学系の同人雑誌を見つけたのだが、その中に石光の「刑務所の塀」という作品が載っており、その由縁が分らなかった。しかし、川端氏の本にはちゃんと、「広島高校時代から同人雑誌『移動風景』に参加して、鋭鋒を見せていた。」とあり、やっと、なるほどと納得したのである。

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