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44.鴨居羊子の絵とエッセイに魅せられて ─ 画家、鴨居玲とともに |
最後になるが、私は今回、よい機会なので、彼女の弟の画家、鴨居玲の創造世界にも少しは近づきたいと思い立った。玲氏は晩年、わが郷里、神戸に住んでいるし、その文学的、演劇的とも言える重厚な作品には以前から引かれていたものの、美術雑誌などで作品の一部を断片的に見ていただけだった。今年初め、神戸の小磯良平記念美術館で大々的な鴨居玲展が開かれていたのに、つい見逃してしまったのを思い出し、九月に入ったというのに陽ざしがカッと照りつける一日、思いきって六甲アイランドにある館に初めて出かけ、その図録を購入してきた。 |
「鴨居玲展」図録 |
鴨居玲「Love」 (「絵」表紙より) |
帰りの車中で早速、図録の図版頁を一枚ずつ繰りながら、その深くて重い作品世界の迫力に圧倒されっぱなしであった。表紙にも使われている「1982年 私」─ クールベの「画家のアトリエ」をすぐに意識させる ─ に代表されるように、玲氏自身の画家としての苦悩、孤独、道化心、死の影が直に伝わってくるような、自画像を絵中の人物に仮託した作品が多い。その中で私をホッとさせ、救われたのは、「石の花」連作という、ソビエト映画から触発された、愛しあう裸の男女の抱擁を結晶化させた作品群である。 |
総じて、人生のドラマの一瞬を作品化しているという意味では、絵筆のタッチは全く違うが、姉、羊子さんとの共通性も感じる。巻頭の瀧悌三氏の序文によると、玲氏は40歳を過ぎてから多読家になり、ミステリーはもとより、檀一雄、坂口安吾、サルトル、司馬、開高、陳舜臣らの小説を愛読していたという。作品「私の村の酔っぱらい」の解説を読むと、かつて死に場所を求めてブラジルに赴いた玲氏のもとに、羊子さんの手紙が届き、そこに、玲氏の作品図版を見た司馬さんが彼の才能と作品の魅力に衝撃を受けたことが記されていて、それを読んだ氏は再起する力を得た、とあり、三人の人間関係の感動的なドラマを垣間見る思いがした。玲氏の方も、司馬さんの小説『妖怪』に引用された室町期の歌謡集『閑吟集』中の一節中の句「踊り候え」「夢候よ」をいたく気に入り各々、作品のタイトルにしている。巻末の渡辺純子さんの論文の註に、羊子さんは「弟・鴨居玲」という一文で玲氏の「壮絶な制作の様子を姉の眼から推測している」とあるので、ぜひ探し出して読みたいものである。そういえば前述の『わたしは驢馬に・・・』にも、彼女が記者をやめた頃、玲氏もまだ無名の時代で、「弟は絵が思うように描けないといっては、隣りの部屋でカンバスをわざとデバボーチョーで音たてて破っていたりした・・・」という件りがある。それは殺気をはらむほどのすさまじさだったという。個性が特別強い二人だから、その葛藤も並大抵ではなかったことだろう。 それにしても、姉弟共、没後年を経るにつれてますます人気、関心が高まってきているという例は珍しいのではないか。玲氏のエッセイ集『踊り候え』(風来社)も読んでみたいし ─ 美術の小雑誌『絵』(日動画廊)に載った氏のエッセイを読むと、なかなか率直でユーモラスな文章だ ─ 羊子さんの未読の本や未見の個展図録もこれから探求したいものである。 |
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