さて、再び「新しき軌道」に戻ろう。
「秋の中頃のある夜、頼子を訪ねるとたまたま帰朝してゐた父の大使から彼女との交際を断られた。理由は彼女が文学をやめる決心をしたので、文学の友達とは今後交はらないといふのであつた。」とある。鳥羽は深い悲哀を感じる。「今まで彼は頼子の叡智と同情とに富んだ小説を愛してゐた」のだから。また、「あの小説が、それほど自在にやめ得る彼女の遊戯だつたのかと思ふと、読者や社会に対する彼女の冷たさは不愉快なものだつた。」とも書く。
ただ、この交際を断る場面は事実とは違う。総子の父(廣子の夫)、日本銀行理事であった片山貞次郎はすでに大正9年、五十歳で亡くなっている。豊田と総子のつきあいは彼が昭和5年、大学を出てからのことなので、矛盾する。プライバシーに配慮したのか、それにしても周囲の人が読めばすぐ分ったにちがいない。
たまたま、目録で以前入手した『新潮』昭和14年11月号にも豊田三郎の「夏草」という短篇が載っているので、今回、読んでみた。すると、好運なことに、そこにも前述の小説に描かれた頼子が回想の形で登場してきたのだ!
ごく簡単なあらすじを紹介すると、子供嫌いの妻に代って、息子を溺愛する父親となった参吉は、急激にやせ始めた子供の転地療養にと、妻子を連れて軽井沢に出かけるが、そこには隠れた動機として頼子との再会を期待する心理もあった。軽井沢の駅に入ってきた電車に親子が乗りこむと、偶然、その車輌に頼子を発見する。しかし、彼と一言二言、話を交したきり、頼子は相変わらず謎めいた微笑を残して去っていった。妻は彼女を見て、「奈良の仏像みたいな方」と表現する。いずれにせよ、頼子を二度も小説の中で詳しく登場させているので、豊田にとっては、よほど忘れがたい印象を残す女性だったのだろう。
ここでの頼子とのつきあいの回想では、ある日、参吉が彼女の茶室を訪れると、思いがけず母君に迎えられる。「彼女は聡明な、高雅な女性として定評のある未亡人だった。彼女はにこやかに、娘が今後、文学をやめると告げ、ついては、文学上の交友を全く絶ちますと、意外な宣告を参吉に与えた。」と書かれている。こちらの方がほぼ事実であろう。聡明な片山廣子が堀辰雄にせよ、豊田三郎にせよ、将来の不安定な文学者との結婚に反対するのも(それは総子の意思でもあった)けだし当然であったろう。 |