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41.タイトルにこだわる著者たちの話 |
五月に自著をようやく刊行し、その後、献本や送本、PRなどで珍しくバタバタしたため、古本のネタを掘り下げる余裕がなかった(言い訳ですが・・・)。それで今回は軽い話題でお茶を濁させていただこう。 しばらく前、ある新聞の書評欄に、数年前刊行された山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』(光文社新書)の大ヒットに続けと、『なぜ・・・・なのか』というタイトルを付けた本がふえている旨の記事が出ていた。オーソドックスな「会計学」の啓蒙的入門書でも、こういう疑問形を使ったタイトルだと読者を引きつけ、手に取りやすいのだという。たまたま、読んでいた出版社のPR誌の中広告にも、『「完璧」はなぜ「完ぺき」と書くのか』というタイトルの本が目に付いた。おそらく国語学者が非当用漢字の表記への疑問を学問的に解説したものだろうが、一具体例を思いきってタイトルにし、興味を引きつけようとしたのだろう。 |
ここからは古本らしい話に入ろう。 |
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私は最近、氏の小説集『いま道のべに』(昭56、講談社)を手に入れ、読み始めているが、これも東京の神田、新宿、新橋、高田馬場などの土地を丹念に探索しつつ、自己の青春の軌跡をたどり直すといった自伝的小説で興味深い。 |
「いま道のべに」函 |
端正で、読みやすい字体である。消印は昭和32年3月25日となっている。 |
例によって手元にある野口氏の文芸文庫の作品年譜で調べてみると、このハガキに一番近い著作として、『海軍日記』が昭和33年に現代社から出ている。内容からいって、この本に間違いないが、なぜ角川書店から出なかったのか、謎である。原稿をA氏に預け、まだ検討中の段階だったのだろうか? ふつうはタイトルの検討は出版も決り、校正も進行中に行われるものなのだが・・・。何か出版社との間にトラブルでもあったのだろうか。 |
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