← トップページへ
← 第57回 「古書往来」目次へ 第59回 →

古書往来
58.古本屋主人の書いた小説を読む ─ 寺本知氏の詩と文学 ─

閑古堂が次に披露する風呂屋での人間観察で得た自称大発見(?)もユニークだ。
例えば「セトモン屋の爺さんは、着物をぬぐときまって三番の箱に入れまんなァ。それから風呂場に入ってくると先ずぬるい小風呂の方に入りまんな。それが約十分間。……(中略)……またこの人の洗う場所は二番目のカランの前にきまってて、もし他の人が先に腰かけていようものなら、ごつう機嫌が悪うおましてなァ……(後略)」などなど。風呂屋通いも伊達にはやっていない。
他にも入れ歯をきまって浴槽へつける(ひゃっ汚い!)老人の例もあげ、つまりは老人たちの入浴順序は寸分の狂いもなく同じくり返しで、動物的習性のようになわばり行動も決っているというわけである。対して、子供、とくに幼児になるほどその行動は固定してないのだと言う。なるほど、これは思い当る風呂場での人間観察で、大げさにいえば、人間生態学(行動学)の興味深い観察事例であろう。そして、そのオチもきまっていて、青住先生に「するとなんですか、僕らがこうして夕方、お店へやってくるのも、動物的習性の現われですかな」と言わせている。
そこへまた、朝来た柏井老人が入ってくる。四人で文化都市についての話題になり、老人はこう語る。「……おべんちゃらではありませんが私は市町村を分析するバロメーターとして、古本屋を高く評価しておりますがね。たとえばその町に存在する古本屋の数と、その店がまえと、店に並べてある本の種類をみただけで、私はその街の文化的水準やその伝統、また住民の知識程度や、その経済的動向まで察知できると思いますがね。」と。これも実に納得できる議論で、以前、大仏次郎氏も地方都市の古本屋を訪れた際、同様の感想をエッセイに書いていたが、それをもっと詳しく展開させた見解である。

その時入ってきたのが酔漢で、この辺りで悪名高い暴力男、通称堂寅であった。堂寅も五百円の金を無心するが、閑古堂は必死に謝らんばかりに断わった。(朝から何人も商売にならぬお金を出しているのだ。)彼が市の結果を聞きに公衆電話まで出かけたのと入れ違いに、詩人志望の若い榧(かや)君もやってくる。由枝と榧君が堂寅のことを話しているとき、スッと彼が帰ってきて、「あかん……」とポツンと言って腰を下ろした。広重の版画は元摺りではなく、後摺りで、七百円にしかならないというのだ。由枝はがっかりして涙をためる。まだ店に居た榧君に、ふだんは一番彼の詩をみとめ励ましているのに、珍しく辛辣に「あんた、もう詩を止めなはれ」と当ってしまう。
「……あんたの詩には命の絶叫がおまへんがな。人間の心の中のほんまの魂が、歌い笑い号泣し怒号してまへんがな。これがほんまの詩と言えまっかいな!」と。腹立たしさをこらえて聞いていた榧君がふと彼をみると、彼の眼がキラキラ輝き泣いている。結局、閑古堂は自分を叱り歎いているのだった。
そのとき、誰もいないと思っていたら、真中の本棚の蔭にいた五十年輩の紳士から突然「この医書は幾らでしょうか」と声をかけられ、びっくりする。棚の一番上に積んである五、六十冊の医学書を見上げて指さしているのだ。安ければ全部でもいただくというので、昨年知り合いの医者から四千円出して買ったものをつい、四千円でと答えるが、もっと負けなさいよと言われ、結局二千円に負けて売ってしまう。今は一銭でも金がほしいのだ。ついでに夢二のものが何かないかと尋ねられ、あわてて奥から、学生時代に京都の友人から無理に譲ってもらった愛着のある、半折の巻物を出してくる。客もそれを見てとても気に入り、値段を聞かれるが、いろいろ迷ってすぐ出てこない。そこへ若者を一人ひきつれた堂寅がまた酔って入ってきた。その乱暴な態度に辟易して客はまたきます、と逃げるように姿を消してしまった。せっかくの商売の邪魔をされたのだ。榧君がおだやかに注意すると、堂寅と若者はカッとなって彼を蹴りあげ、突き飛ばす。閑古堂はそれを見てあまりの恐怖に石と化したかのように見えたが、不意にスイッと立ち上り、堂寅に「一寸、たのんまっさ」と言って表へ出て行った。
神社のさびしい裏参詣道に入り、つと立ち止ってついてきた二人にくるりと向き直ると、「堂寅! ええかげんにしたらどないや」という声が終らぬうちに「閑古堂の痩せてはいるが、敏捷で銅のようなバネをもった拳骨の一撃が、ガッキとばかりに堂寅の鳩尾を突き上げていた。」
第二発目の拳も堂寅の胃袋の上で炸裂し、「ぐわっ」と彼は胃の中味を吐き出して、伸びてしまう。実は、彼は少年時代、非常に喧嘩っ早かったのだが、中学生になって陸上競技に凝りだすと、いつしか性格も明朗になって人と争うこともなくなった。そんな眠っていた気質が、堂寅への激しい憤怒から、久しぶりに突如爆発したのだった。一杯飲んで店に帰ってき、シャッキリ突っ立っている彼を見て、由枝も榧君も「へーっ」と驚く。喧嘩の顛末を報告し、「甲斐性なしの俺も、今日だけはとんどの火ぐらい大っきいに生命を燃やしたったフフフ」と自嘲めいた笑いをもらす。
そうして、もういっぺん飲みに行こうと榧君をさそい、閑古堂が酔えば得意で唄う白秋の詩『ビィール樽』を低く唄いながら店を出ていく。最後はこう結ばれている。
「結婚以来、見たこともない夫の姿を半ば気味悪く、半ば惚れぼれと、由枝は一心に見つめているのであった ─。」と。
胸のすくような結末である。小説を読んで、こんなにスカッとした体験は久しぶりであった。加えて、古本屋ならではの商売の実態や生活の哀感だけでなく、作者の文学的素養がふんだんに詰め込まれて物語に肉付けされている。小説のあらすじの紹介にかなり枚数を取ってしまったので、あとは駆け足で急ぐことにしよう。

<< 前へ 次へ >>

← 第57回 「古書往来」目次へ 第59回 →

← トップページへ ↑ ページ上へ
Copyright (C) 2005 Sogensha.inc All rights reserved.