出だしは次の文章で始まる。「朝のおそい閑古堂は、今朝も十時すぎに店を開けた。」と。そして、岡町らしい商店街の風景が描写され、「閑古堂は悠々と戸を開けてから、店一杯にぎっしりつまっている書棚にハタキをかけはじめた。」と続く。
番台の椅子に腰をおろして煙草を一ぷく吸い、抽出しから一冊のノート「閑古堂日録」を取り出す。彼は一ヶ月程前に荷風の『羅災日録』を読み、いたく感動して以来、毎日、朝のうちに前日の事柄を日記につけることにしたのだ。
「彼がペンを執ろうとしたとき『こんにちは』と柏井老人が白髪をかがやかせながら、例のごとくふわりと枯葉のように入ってきた。」
この人がその日のお客第一号で、服装(いでたち)はよれよれの背広にノーネクタイ、書類を入れた買物籠をぶらさげた格好だが、閑古堂が日頃から敬愛している人物だ。この御仁は京大工学部と理学部を七年かかって卒業し、N新聞の調査部に入った。以来三十年、自ら名づけた極限学(エストロジー)なる学問を探求しその事例を収集しつづけている。即ち世の中にはつねに極大と極小が存在している。例えば世界で一番長い地名はイギリスのランフェア……といい、英字で58字に及ぶという。
そもそも、この柏井老人との出会いは、数年前、店にひょっこり入ってきた老人がいきなり地図を広げたので、「これ、なんでんねん」と尋ねたところ、(この全篇を通じた大阪弁の会話も味があります。)老人が好きな京阪神界隈の濁酒(どぶ)屋を赤鉛筆で無数にマークしたものだった。「閑古堂はこの老人のような、ものに憑かれた人間が好きであった。」
その老人に「すみませんが、三百円貸していただけませんか」といわれ、彼は番台の抽出しにある有金の中から三枚、札をわたす。
さて、彼が日録に書きつけたのが、近々娘の卒業前の修学旅行に七千円が必要で、妻に朝から催促されたこと、しかしなかなかの大金で目下金策の方途もないので「われ生涯の掘出しものとして惜しみてもあまりあれど、永年珍重しきたりし広重の元版画を売却するもせんなきか……」と。
さらに次の如く書き進める。
午後にY警察の眼光鋭い刑事がやって来て、コンサイス辞典など四冊の本をさし出し、こちらで盗難されたものかと確認され、そうだと答えると、ともかく明朝十時までに購入台帳と印鑑をもって来署せよと言い置いて去ったことを印し、「甚だ憂鬱なり」と記す。
最後に、「夜、大阪市内の同業の友人米谷君ひさかたぶりにきたる。これ幸いと、明日は定例の古書会市なれども、迂生警察へ出頭のため、遅参はおろか出席もおぼつかなき有様なれば、例の広重版画の売却方を、委託すれば米谷君こころよく引受けてくれたり。さればとその版画を同君に見せるに、彼、これは珍品、うまくゆけば二、三万円にもならんと……。」と、ここまで書いて、彼は妻の呼び声にせかされ、近くの神社の祭りの宵宮の太鼓の音(たしかに、岡町商店街に接した裏手に広い境内のある原田神社がある)を聞きながら警察に出かけてゆく。妻が代りに番台にすわり、しばらく妻、由枝との結婚以来の生活の回想や昔、古本屋仲間だった伏田が顔を出して由枝が応対する様子が描かれる。
閑古堂は昭和19年春に一度召集されるが、脱肛痔のため即日帰郷となったことや、学生時代はスポーツマンだったことなども書かれているが、これらは後日の探索によって、氏の伝記的事実であることが分った。また、氏は後年、政治・運動の方で多忙だったので店番の方は殆ど奥さんがやっていたという証言もある。由枝と伏田との会話の中で伏田に言わせているセリフは、まさしく寺本氏の思いでもあろう。
「そやけどボクは、古本屋が好きでんなァ。お宅の看板に『魂の糧を売る店』(筆者・これも事実)と書いてありまっけど、古本という奴は恐いもんでっさかいなァ……著者が必死に魂こめて書いた本だけが、いつまでも値打がおましてなァ、そんな本は作者が死んで何十年たとうと本だけが生きとりまっさかいなァ。」と。
これは編集者の私にもズシンと胸に響くことばだ。この伏田にも、電車賃もなくて稼ぎに出られないので二百円貸してもらえんかと頼まれ、由枝は仕方なく貸してしまう。
恐い警察でペコペコと礼を言って帰ってきた閑古堂は、毎日の恒例行事で、三時頃、風呂屋へ出かけていった。のんきに見えるが、これは実は痔疾のためである。帰ってくると店に常連客の高校教師、青住先生と商業美術家(今でいうグラフィックデザイナーだろう)、林家さんが待ち受けていた。彼らとの座談がまた面白い。閑古堂が坂口安吾、太宰治、壇一雄、織田作らに共通しているところは、大体、大正生れで甘い奴が多く、「ロマンチストでニヒリストで、楽天家で淋しがりやで、お人好しでオッチョコチョイで……」と俄然、饒舌をふるうと、それを受けて青住先生が、大正四年生れに梅崎春生、野間宏、大正七年に堀田善衛がいて、いちがいにロマンチストばかりとは言えない、とおだやかに反論する。これなど、相当な文学好きで各々の作家の小説を読みこんでなければ、出てこないやりとりである。 |