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古書往来
56.中村隆と『輪』の詩人たち ─ キー・ステーションとしての古本屋、そして金物店

さて、再度、『輪』50号に戻り、伊勢田氏の「私的なノート」(6)を見てみよう。 「内田克巳さんの死」と題して、伊勢田氏と昭和43年頃から雑誌の編集長としてつきあいのあった内田氏の想い出をしみじみと語っていて、心ひかれる文章だ。
氏によると、内田氏は元々詩人で、戦前は百田宗治の「椎の木」に参加していた。昭和13、14年頃は『文学界』編集部にいて活躍。その文藝春秋社時代、岸田国士、山本有三、中山義秀、小林秀雄、三木清などと親しくつきあった。昭和15年には文藝春秋から大政翼賛会文化部に出向して『小国民文化』編集長を勤める。戦後は天理養徳社で企画を担当したというから、戦前、砂子屋書房から清新な短篇集『肥った紳士』を刊行し、編集者として文春、甲鳥書林、養徳社とかかわった庄野誠一とも同僚ではなかったか。(この辺も『スムース』4号「甲鳥書林周辺」特集に詳しい。)
その後、昭和31年3月に『大阪手帖』という小雑誌を創刊、創刊号には望月信成、小野十三郎、藤沢桓夫などが寄稿している。この雑誌に氏は内田氏にすすめられ、詩や随想、さらには歴史小説『呼子』を二年余り連載してもらったという。氏は内田氏の人柄を「つねに謙虚で、しかも、何となく道を求める人の真摯さがあった。」と語っている。昔つきあいのあった作家たちのことを書くよう内田氏にぜひにとすすめて、まず「体験的山本有三論」を『文学』に発表し、次に「昭和十年代の岸田国士」も書いて『文学界』に出るはずだったが、どういう経緯か、埋れたままになっているという。内田氏は昭和53年に亡くなった。「なくなられて日がたつほどになつかしく思われてならない」と氏は述懐している。『大阪手帖』終刊250号で、福田恒存も同様の追悼文を寄せている。今ではおそらく忘れられた一編集者の軌跡だが、ここに紹介しておきたい。

私は、古本展でたまたま見つけた『大阪手帖』(昭32年、一月号)を一冊だけ持っている。34頁のしっくりした造りの雑誌だ。住所は、東淀川区国次町71、になっている。今東光の「癖ということ」と題する随筆が載っていたから買ったと思う。小野十三郎の短詩「ばらの根のパイプ」もある。後に舞台化された平田雅哉の「工匠談義」の連載は内田氏の聞き書きによるという。(平田雅哉作品集は創元社から以前出ている。)

「大阪手帖」表紙
「大阪手帖」表紙

伊勢田氏の詩集は昔、偶然に氏が23歳の折出した第一詩集『エリヤ抄』(昭27、『MENU』発行所、エバンタイクラブ)を見つけ、奥付を見ると、元町、大丸近くにあった書店、日東館発売とあったので、懐かしくなり、買っておいたのだ。ただこれは、少女エリヤを主人公にする時空を超えた内的ファンタジーのような連作散文詩で、私には難解であった。第二詩集『幻影とともに』(1957年)は創元社刊。最近手に入れた『よく肖たひと』(1989年)はぐっと平易になり、とくに山登りの心象風景を描いたものに心引かれる。近年は『船場物語』や兵庫の歴史・民俗探訪のエッセイでも活躍している。脱稿後にブックオフで『伊勢田史郎詩集』(2007年、土曜美術社出版販売)も手に入れることができた。

ここまで書いてきて、私はひょいと、もう一人の『輪』同人、海尻巌氏の詩集を二冊、持っているのを思い出した。たしか二、三年前、日本橋の古本屋の一番上の棚に見つけたもので、そのときはむろん『輪』のことも知らなかった。全く知らない詩人なのに買う気になったのは、その一冊に竹中郁の「花束にかえて」という心やさしい序文が載っていたので、きっといい詩集だろうと思ったからだ。『海尻巌詩集』(昭50、神戸、日東館出版)と『続海尻巌詩集』(1994、編集工房ノア)である。

「海尻巌詩集」と「続海尻巌詩集」表紙
「海尻巌詩集」と「続海尻巌詩集」表紙

どちらも枡型本で、前著は同人の貝原六一氏の表紙画、中にもふんだんに氏の人物カットが入っている。今、再び見てみると、前著にはやはり中村隆氏の跋文があるではないか。「詩の原点」と題し、海尻氏の人と作品を内側から鋭く暖かく考察した好文章である。その作品は、郷里、但馬の自然や、母や息子や肉親をテーマにしたものが半数以上を占めているが、その”耐える精神”が社会に向わず、すべて自分の内部へと向っていると指摘する。その序文で竹中郁も、海尻氏には「謙虚でねばりのある気質がある。それを助長するような但馬言葉がある。」と言っている。後著では伊勢田氏が跋文を寄せ、「他者への深い思いやりの心が、平明な惜辞の奥処に珠玉のように煌めいている。」と高く評価している。これらは全く適切な評言であり、どの詩も、読めばしみじみとした情感がじんわり胸に伝わってくる。後著の巻頭にある「牧場にて」は売られてゆく仔牛を想う親牛の悲しみを唱ったもので、私はすぐに同じ但馬出身の坂本遼の詩を連想させられた。同書には師であった竹中郁を追想した詩が7篇も収録されており、グッとくるものがある。また「街中の浜木綿 ─ 中村隆に」という作品もあり、店のかまちに腰かけ、いつも商売の合い間に詩を書いている中村氏の姿を捉えている。海尻氏は1995年に亡くなった。

最後に同書に収められた、この連載の読者には格好の作品「古本屋にて」を全編、引用させていただこう。古書ファンなら誰しもうなづく情景であろう。

見返しをひらくと著者と贈った人の名が
インク消しに消されながら
うっすらと浮かび上がっている

本棚にはさまれては
背文字も押しつぶされそうなこの詩集
いくばくの銭にかえようとて売られたのか

ほこりをはらって頁を繰れば
消息さえ知れぬ友の顔が
赤ちゃけた仙花紙の中から浮かんでくる

今回もごく限られた資料を通してではあるが、わが郷里、神戸の一詩人グループの歴史の一端をスケッチすることができたのは幸いである。

(追記)
神戸市中央図書館に問合せてみると、『輪』は2006年7月、丁度100号で終刊になったという。また伊勢田史郎氏の『神戸の詩人たち』は、詩人ごとの回想記をまとめたもののようで、内容的にも本文とダブリ、より詳しいようだが、今回はそれに拠らなかった(単に未読だからにすぎないが。)また『都会の原野』の中野繁雄が戦後、『パラダイス』という文化雑誌の編集長をしていたが、早逝したことも中村隆氏の回想で知った。

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