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古書往来
56.中村隆と『輪』の詩人たち ─ キー・ステーションとしての古本屋、そして金物店

さて、年月は移りゆき、91号(2001年)を見ると、氏は1989年10月に亡くなり、没後12年目に『中村隆全詩集』(澪標社、大阪)が出たのを記念して、三宮の生田神社会館で「詩人・中村隆を偲ぶ夕」が開催された報告が載っている。この中で、神戸のヴェテラン詩人、和田英子さんは「中村さんの店先」と題する一文で、次のように書き出している。 「中村金物店の中はぎっしり品物がつまっていて、人間が通るのがきついほどであった。客が来ると話は中断され帰ると詩や文学や詩人の話題に話は戻ってゆく。背中をねじった棚の隙間から詩誌や詩集が取り出され熱っぽく批評や見解が披露された。」と。 これは若い頃のクラルテ書房店主が、金物店に場所を移したわけであり、ここでも多くの詩人たちが交歓するトポスの主となっていたのだろう。私は京都の天野忠が若い頃、一時やっていたリアル書店や高知の詩人、片岡千歳さんが開いていたタンポポ書店、それに大阪、十三の庶民派詩人、博識の清水正一氏のかまぼこ店もそうだったろうな、と楽しい連想が広がった。 中村氏の文学的歩みを簡単に紹介してきたが、私は肝心の氏の詩集をまだ一冊も見ていなかったので、「街の草」さんに氏の詩集が何かないかと問合せてみた。すぐに反応があり、探して下さったらしく、ラッキーなことに『詩人の商売』を手に入れることができた。(感謝!)店主でとても味のあるエッセイを書く加納さんも、中村隆はいい詩人ですね、としきりに言っておられた。

「詩人の商売」表紙
「詩人の商売」表紙

本書は簡易フランス装で表紙は、金物店の壁(?)に掛けられた、ズラッと沢山並んだ鍵の写真をあしらったもの。版元の蜘蛛出版社は神戸の詩人、故・君本昌久氏がやっていたユニークな出版社で、すでに扉野良人氏が『スムース』12号で紹介している。詩誌『蜘蛛』(昭和35年創刊)には中村、伊勢田氏も編集グループのスタッフとして加わった。

本書はあとがきによれば、「十三年間に書いた百篇余りの作品から、骨身を削る思いで選びとった」作品集で、粒よりの35篇が並んでいる。IV部に分かれており、商売人らしい「取引」「倒産」「張り番」といった一寸珍しいタイトルの作品も含まれる。大部分が、金物店の店先での人間模様や近所の様々な店主たちのもの哀しい人生ドラマを描いた追悼集だが、TV観戦での野球選手のプレイを戦争中の戦闘場面に重ね合わせた暗示的な描写などもあり、各々に余韻が深い。
ここでは、店先が詩人たちの交流の場でもあったという、ほんの一例を示す作品を長いので前半のみ、引用させていただこう。

職業 ─ 衣更着 信さんに ─

昭和十三年の春
「ルナ」発行所のあった
楠町の中桐雅夫のところを訪ね
ことし六月 近代美術館にエルンストがかかったからと
古ぼけたぼくの店まで足をのばしてくれたのが
四十年ぶりの来神だ
「詩人の商売」と題する詩に
── 詩人のする商売は金物屋がよい
と喝破したキサラギさんだが
── 店も主人もまったく想像したとおりだったので却って
      びっくりした
という
狭い店のあがりかまちに腰をかけ
塩煎餅をかじりながら
ぶら下った刈込鋏や 出刃包丁を眺めている
彼こそ錬金術師のようで
ただ アブリだしのように
初対面のイメージが浮き出るのを待つしかない

中村氏は他に詩集『不在の証』(蜘蛛出版社)『金物店にて』(日東館出版)『向日葵』(湯川書房)も出している。今後も探求したいものだ。中村氏はもっと全国的に知られていい詩人だと思う。

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