← トップページへ | ||
← 第52回 | 「古書往来」目次へ | 第54回 → |
53.作家の名前コンプレックスあれこれ |
次に、木山捷平は『玉川上水』(1991年、津軽書房)の中で、太宰治とのつきあいの思い出をいろいろ綴っている。 ところが、『角帯兵児帯 わが半生記』(1996年、講談社文芸文庫)に収められた「私の後悔」(昭和40年)ではこう述懐している。 その木山が、同書の「文壇交友抄」で、友人の劇作家、伊馬鵜平が伊馬春部(はるべ)にペンネームを改名したことにふれて、次のように書いている。 |
「おととしの恋人」カバー |
ここまでくると、かなりコンプレックスも深刻である。木山は、伊馬の改名の本当の動機がききたい、とも書いているが、これについては答えにはならないが、伊馬の友人であった戸板康二(どちらも折口信夫を師と仰いだ)のエッセイ集『おととしの恋人』(昭60、三月書房)所収の「伊馬さんのこと」に次の箇所があるのを見つけた。 |
これは伊馬氏から戸板氏が直接聞いたのだろうか、先の臼井氏と違って万葉集から採ったようだが、具体的な歌は示されていない。 |
梅田の阪急東書房で200円で入手した伊馬春部の随筆集『土手の見物人』(1975年、毎日新聞社)の奥付によれば、伊馬は1908年北九州生れ、1931年国学院大学を卒業後、ムーラン・ルージュ文芸部に入り活躍した。著書に『桐の木横丁』(1936年、西東書院)などがある。戦後もNHK文芸課などに在籍。その一方、井伏文学に魅せられ、昭和6年頃、初めて井伏宅を訪問、その頃太宰治と知り合い、親交を重ねた。太宰に関する著書『桜桃の記』もある。 |
「土手の見物人」カバー |
本書の中にも太宰や井伏氏の思い出を綴ったものが多くあるが、その一つ「朽助以後のこと」の中にたまたま次の箇所を見出した。 |
|
<< 前へ 次へ >> |
← 第52回 | 「古書往来」目次へ | 第54回 → |
← トップページへ | ↑ ページ上へ |