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古書往来
52.福田清人の小説・回想記を読む
─ 第一書房時代を中心に ─

<……私史>にはもっと紹介したい事実がいろいろあるが、ここらで切りあげて、著作集に収録された小説で強く印象に残った小説も二篇紹介しておこう。一つは三巻に載っている中篇「憎悪記」である。これは以前、古本で見つけた『群像』(昭23年11月号)ですでに読んでいたものだ。ごく簡単に粗筋を紹介しよう。

<おれ>は出身地も中学も同じで早くから文学の才のあった<君>を憧憬していた。二人共上京して大学に入り、<おれ>は同郷の作家、野口氏の文芸雑誌の編緝を手伝っていたが、野口氏に批判的な<君>に引きづられ(実はそれも策略だったと後で気づく)、恩義のある野口氏を裏切って<君>の同人誌発行に協力するようになる。卒業後<君>は中学教師をやりながら文学の道を進み、<おれ>は教科書専門の出版社の編集者になる。その後<おれ>は文学を断念して小さな出版社を興し、最初に君の処女作品集を出したいと申し込むが、しばらくして断ってきた。その三ヵ月後、他の有名な文芸出版社から<君>は本を出し、<おれ>に自分の力を誇示した。
<おれ>はその後、戦時中の企業整備で統合された五、六社の出版社の取締役になる。<君>はある文化団体の事務局に勤めていた。<おれ>がその出版社社長と意見が衝突し、面白くなくなった頃に、<君>から自分の文化団体に来ないか、丁度会計課長の椅子が空いているので、と誘われる。尋ねてゆくと、局長室で<君>は初めて会う者のように冷たい顔でおれに接し、面会した局長からも履歴書の誤字を指摘され、不快な侮辱を受けた。むろん、そのままに放っておいた。女の問題でも、<君>は<おれ>がつきあっていた下宿の娘を強引に自分のものにするなど、おれをひどい目に合わせた。<おれ>は終生、君の権勢欲の支配下にあるのだと感じる。
叙述はこの2人の今までの確執があとに語られているが、そうして冒頭の文章にある「君が阿佐ヶ谷の古本屋で、以前君がおれに贈ってくれた二、三冊の短編集の署名本を、偶然発見して、ひどく怒っていたという話を伝え聞いた。」というエピソードが語られる。その署名本は、便所紙にでもせよと女房に渡したのが屑払いの手に渡り、廻り廻って古本屋に流れたものが<君>の眼に偶然ふれたのだろう。「署名本といえば、一般に珍本視される。それが売れもせず残っていたことは、君という作家に世間の無関心を示して痛快でもある……(略)これは予期しない痛快な報復となった。」と。

この物語はもう一歩踏み込めば、松本清張ばりの、社会的弱者や、画家や学者のライバル同士の憎悪から起きる殺人劇をも引きおこしかねない怨念の軌跡を描いたものだ。私共、編集者にとっては魅力的なテーマである。これを雑誌で読んだ折、私小説的なものなのかと思って一寸ギョッとしたが、「昭和文壇私史」を読むと、「これはある友人の立場を想定してのフィクションである。」と微妙な書き方をしている。少なくとも、これに近い心の動きが執筆時福田氏にあったのかもしれない。


第二巻に収録の「学会素描」も、学者の<影>の側面、舞台裏を描いていて、面白い。
昭和初期の話だが、大学時代は小説家を志し、左翼に走り、今はブラブラして現代文学研究家を目ざしている、いやみな性格のエゴイスト、三崎が、かつての先輩や友人らに話をもちかけ、学会の大御所、山田博士ももちあげて、同大学出身の文学研究者から成る新しい学会を結成するため、画策する話だ。それに多少共感して協力する先輩、ことごとに反発するかつての作家仲間など、各々の心の動きが語られる。この三崎は研究資料の明治文学物を蒐集するため、必ず早起きして、どこの古本展会場へも開館前に着くよう出かけて行く。そして、明治ものの相場が上がるのを見越して、どんどん買い込むのだ。冒頭の描写を引用しよう。
「おもての電車通りからふきつける塵埃は、窓々を汚して、春のにぶい光線がまばらに会館のなかに流れこんでいた。そこにはこの古びた建物、うす汚れた光線にふさわしい、おびただしい古本がぎっしりとならべられ、青白い七、八人の男がそれをあわただしく整理していた。」と。古書展にもよく通っていたであろう著者でなければ書けない文章である。
開館を待っている古本屋仲間の一人にこんなセリフを吐かせている。「実際この頃の学者には、半分われわれ古本屋みたいなものがいるからなあ。ほれ、そんなのがまた来たぜ。」と。これは福田氏自身も内心苦笑しただろうし、現在でも通用する評言であろう。

三巻の最後には「児童文壇私史」も48頁にわたって収録されているが、私はさほど興味がないので未読のままだ。しかし児童文学研究者には必読の文献だろう。なお、文庫にある福田氏作成の年譜によれば、この著作集は昭和49年、福田氏の古稀を祝って立教大学の教え子や『文芸広場』(後述)関係等で作ってくれたものという。教育者としても多くの人に慕われ尊敬されていたことが伺われる。

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