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古書往来
52.福田清人の小説・回想記を読む
─ 第一書房時代を中心に ─

この中に前述の落胆を多少補ってくれるような「第一書房時代」の記述があった。ピックアップすると、氏が入社して初めの頃は校正の仕事を担当し、『近代劇全集』や堀口大学の翻訳、太田黒元雄の音楽の本など校正していた。その頃、校正で半生を過ごしてきた酒井氏というエキスパートがいて、仕事の合い間には新聞や広告の誤植を見つけたりして、世の中の不正の一切は校正の誤りから起こるかのごとく見なして殆んど病的であった。その三年後彼は発狂してしまったという。(校正にのみ、のめり込むのも恐いものだ!)今回、「青春年鑑」を急いでパラパラ見返してみると、この校正者も中に登場して割に詳しく描かれていた。つまりフィクションの中に一部、事実を盛り込んでいるのだ。

興味深いエピソードを一つ。石川達三の「蒼氓」の原稿が同人雑誌に載る前に社に小包で送られてきて、出版してほしい旨の手紙が添えられていたが、当時の第一書房は特殊な関係のある松岡譲のものぐらいしか小説は出していなかったので、そのまま送り返されたという。その翌年にそれが芥川賞を取ったので、まさに大魚を逃した、という経験である。また、三好達治、丸山薫、岩佐東一郎、城左門などの殆んど処女詩集を手がけたのも福田氏らであった。第一書房から読者向けのパンフレット『伴侶』(これは知らなかった)が当時出ていたが、それを発展させた一般向けの雑誌『セルパン』を出すことになった。第一書房のマークは、長谷川巳之吉の巳にちなむ蛇で、そのフランス語がセルパンだが、何か広告の標語をというので、福田氏が何げなくつぶやいた「パン屋のパンはとらずともこのセルパンをめしあがれ」を社長が気に入って採用し、ポスターに刷られた、というエピソードも語られている。

昭和6年に、本格的に小説を書くため、退社したが、そのきっかけは社長から「福田君、君は文学に志しているようだが、それでは、こんなつとめは、じゃまになろう。ひとつ、自由な時間をもって、うちこんで小説を書いてみてはどうだ」と言われたからという。それが退職勧告なのか好意からなのか、解せなかった。「君が、その気なら、半年間の生活を保証する。……」とも言われ、プライドもあってあっさり承諾したという。氏自身も顧みて、自分が決していい編集者ではなく、心は常にもっとほか ─ むろん創作 ─ にあった、と述懐している。この辺の心情は「青春年鑑」でも描かれていた。

しばらく後の「目白時代」には、氏の処女小説集出版のことが出てくる。当時、金星堂の編集部にいて、家も近所に住んでいた文学仲間の伊藤整が、シリーズで衣巻省三『パラピンの聖女』那須辰造『釦つけする家』上林暁『薔薇盗人』とともに氏の『河童の巣』も出してくれた。「共に千部だったが、本を五、六十冊もらって無印税だった」「それにしても、処女出版本を手にした時のよろこびは、初原稿料をもらった時のよろこびと共に、終生忘れえないものである。」と記す。ここに挙げられた本はいずれもめったに古本屋に現れないもので、古書価も随分高い。むろん私は『河童の巣』も中之島図書館で見ただけだが、モダンでシュールな短篇が多いな、という印象を受けた。

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