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古書往来
43.PR誌の黄金時代を振り返る
─ 『嗜好』『真珠』から『放送朝日』『エナジー』まで

最後に、有名な『エナジー』(エッソスタンダード石油発行)にも少し触れておこう。これは、現在は作家、エッセイストとして活躍している高田宏氏が若き日々、光文社の『少女』編集部を退社後、エッソ石油に入り、唯一人で『エナジー』を創刊、編集したもので、1964年4月から1974年12月まで季刊で計39冊+特別号1冊を出した。その詳しいいきさつや雑誌の内容は、高田氏の『編集者放浪記』(PHP文庫)にまとめられている。私も昔、元本であっという間に読了したが、印刷所や多くの著者との交流の有様や編集者としての喜怒哀楽が自伝的に生き生きと描かれていて、後進の者としても大いに勉強になった。というより、こんなにも雑誌造りに身も心も捧げて没頭する著者の姿勢に脱帽し、私には及びもつかないな、と嘆息したものだ。
この雑誌には、高田氏が京大文学部仏文出身の縁で、桑原武夫を総師とする京大人文科研の人々、今西錦司を大将とする野外派の人類学や動物学の人々が沢山執筆していた。(そういえば、『放送朝日』の執筆者ともかなりダブっていたようだ)。大判(A4判)のビジュアルな雑誌だが、いつ、どこで初めて手に入れたのか、どうも思い出せない。が、古本屋で見つけた可能性が大きい。高田氏によると、約一万部刷って知識人たちに無料配布していたという。毎号、特集主義で、私も「日本の美学」や「日本の人間関係」「リズムと文化」「遊びの役割」などの号を手に入れ、面白く読んだ覚えがある。これらを読んだのも創元社編集部入社後初期の頃で、今では一冊も手元にない。

「エナジー」37号表紙
「エナジー」37号表紙

ところが昨年、阪神デパートの古本展で一冊だけ、「印刷文化」特集号(37号、1973年12月号)を見つけ、しかも未読だったので喜んで買っておいたのだ。ここに書影を掲げておこう。目次によれば、デザインは勝井三雄とある。たまたま、手元にある小泉弘『デザイナーと装丁』(印刷学会出版部)─ 戦後の代表的デザイナーの装丁作品を順次解説したもので、そのカラー書影には魅了される ─ をひもとくと、「勝井三雄(1931〜)は、PR誌『エナジー』における優れたエディトリアル・デザインが記憶に残るが」とあるので、『エナジー』の多くの号がこの人の手になったのだろう。

他にも、富士ゼロックス発行の大判の『グラフィケーション』や開高健編集の『洋酒天国』(サントリー刊)など、いろいろなPR誌の断片的な思い出があるが、切りがないので、このへんで筆をおくことにしよう。思うに、私の若い頃は、PR誌の黄金時代だったようだ。


(付記)
久しぶりにわがお得意の(?)付記が書ける。本稿を書き終ってホッとして、ブラリと旭屋をのぞくと、今、話題のSF映画『日本沈没』の原作者、小松左京氏の『SF魂』(新潮新書)が新刊コーナーで目についた。これは小松氏の創作活動の裏話が自伝的に詳しく語られているものだ。
早速、拾い読みしてみると、氏が連載で『放送朝日』とかかわった頃のことも出てくるではないか!何と絶妙なタイミングだろう。本書によると、氏は三高の先輩が編集長をしていた『放送朝日』から声が掛かり、1963年9月から1966年まであしかけ4年にわたって、SFルポ「エリアを行く」を連載したという。これは後に『地図の思想』『探検の思想』として講談社から刊行され、その後、『妄想ニッポン紀行』にまとめられて講談社文庫に入った。小松氏は『放送朝日』編集室に出入りするようになって初めて、梅棹忠夫氏や加藤秀俊氏らと出会い、大きな知的刺激を受け、さらに京大人文科研の人々の「比較文化研究」や霊長類学グループの「文化」とも接することができた。氏はこう書いている。「今にして思えば、当時の『放送朝日』は実にユニークな雑誌で、関西の新しい文化研究の発信基地であったと言えるかもしれない。」と。そして「編集長は異色の名プロデューサーだった」とも述べている。(講談社文庫のあとがきによれば、仁木氏という。)この『放送朝日』の執筆グループから「万国博を考える会」も発足したのである。私もほんの一読者ながら、当時、これらの人々の熱気の渦の中に巻き込まれていたことになる。

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