← トップページへ | ||
← 第57回 | 「古書往来」目次へ | 第59回 → |
58.古本屋主人の書いた小説を読む ─ 寺本知氏の詩と文学 ─ |
次に詩集の方も簡単に紹介しよう。『焦心疾走』も『にんげん』もB5判(?)少ヨコ長の判型で上製、堂々たる体裁で、大正、昭和の詩書も扱っていた氏の装幀趣味が反映しているのかもしれない。中の活字を見ると、本文用紙にくいこむように刻印された活版の文字が力強く、美しい。 |
|
「焦心疾走」カバー |
前者には小野十三郎が序文を寄せており、「……旅中の作が多い寺本さんのこの詩集も、大きすぎるものにまま生じる粗雑さをきらい、じつにきめのこまかい感性と語彙で、広く自然と社会に相わたり、物の陰影の特徴をとらえると共に、人間性のもっとも基本的なところで、われわれの想いを引き立ててくれる。」と核心をついた評言をし、最近、体調をくずした自分を勇気づけてくれた詩集だと謝意を表している。 |
「焦心疾走」口絵 (湯田寛絵) |
「あとがき」で詩集刊行までのいきさつを書いているが、氏は幼い頃から読書や絵を描くのが好きで、それが嵩じて古本屋になったという。「儲からなかったが、古本屋時代は楽しかった。」とも。ほうっと私が思ったのが、「『豊中文学』にはじめて五篇の詩を発表した折、意外にも大阪朝日新聞で坂本遼氏からほめていただいた。これがとっても嬉しかった。」との箇所である。私も以前、この連載で好きになった坂本遼氏のことを書いたからである。文学者同士の不思議なつながりを感じる。 |
たしかに詩集を読んでゆくと、後半にある「丹前」「霹靂」「梅ぼし」「漬物」は亡き母の思い出を唱ったもので、その母への想いには粛然と私共のえりを正させるものがある。同時に熱いものがこみ上げてくるのをいかんともしがたい。これらは坂本氏の『たんぽぽ』で歌われた”おかん”への哀切な想いと底流でつながっているように感じるのである。ここでは一篇だけ、もっとも強く私の胸を打った「霹靂」を全篇引用させていただくのをお許し願いたい。 |
母の葬儀がすんで三日め |
|
『にんげん』は先に亡くなった義弟の画家、湯田寛氏の線描の美しい草花の絵を口絵や一頁大のカットで色彩付も入れて数枚挿入した詩画集の趣もある本だ。「人間ハ花になります 寺本知」と識語が達筆の筆で見返しに書かれている。序文はこれも氏が尊敬していた野間宏氏が坂本遼の『たんぽぽ』の詩など引用しながら丁寧に書いている。つくづく氏は敬愛する文学者たちの序文に恵まれた人である。 |
「にんげん」カバー |
「にんげん」カット(カラー、モノクロ2点)(左)と識語(右) (野畑図書館蔵) |
|
本書中に「妻を抵当(かた)に」と題する実に愉快な一篇がある。6頁にわたる詩で詳しくは紹介できないが、要約すると「ある師走、金の乏しい時、西宮のお医者さんに医学書を二十数冊買ってもらい、妻と二人で持って届けにいく。駅に降りて魚屋さんに自転車が置いてあるのを見つけ、女房を抵当(かた)にするんで自転車、貸してくれまへんか、ととっさに頼み、重い本を楽々と運ぶことが出来た。帰ってくると妻はしょんぼりうなだれ待っていた。人のよさそうな魚屋の主人は、あんたみたいな面白い(おもろい)人は始めてやハハハハ、と笑い続け、お礼も受け取らなかった」というエピソードである。これは、前述の小説中に出てきた医者のお客の話のまさしく後日談ではないか。これでいろんな実体験を巧みに小説に盛り込んでいることが分る。 最後に、『魂の糧』中の「熱と光を求めて」という講演は、氏の文学青年としての豊かな素養を前面に出して話されたもので、自分の大好きな詩人たち、宮沢賢治、高村光太郎、坂本遼、会津八一、吉野秀雄、野長瀬正夫について各々お気に入りの詩歌を引用しながら楽しく紹介し、終りに交流のあった瞽女(ごぜ)の画家、斎藤真一の絵と生き方の魅力を熱く語っている。氏は本当は画家になりたかったそうで、『焦心疾走』には「おんな ─ ロダンの彫刻」や「シャガール」という芸術作品への感動を唱った詩があるし、『にんげん』には「雨の遊女(はな)」と題する斎藤真一の芸術と生きざま、氏との交流を綴った長詩も収められている。また自身もよく参加された坂本遼「たんぽぽ忌」の印象を記した詩も心に残るものだ。 |
|
(追記) |
|
<< 前へ |
← 第57回 | 「古書往来」目次へ | 第59回 → |
← トップページへ | ↑ ページ上へ |