← トップページへ
← 第54回 「古書往来」目次へ 第56回 →

古書往来
55.後藤書店で最後に手に入れた本と雑誌から
─ 『私のコスモポリタン日記』と『校正往来』 ─

さて、本文は訪れたヨーロッパの国々のことや好きな映画や本のことなど、元新聞記者だけあって自由闊達な文章で綴っているが、私が一番興味深かったのは、前述の故・久坂葉子の思い出を語ったエッセイである。冒頭に「新聞社をやめ、好きな道の古本屋『アオイ書房』を始めて間もなく、久坂葉子はよく、店へ現れるようになった。」とある。彼女との店での交流を語ったところを少し長くなるが引用しておこう。
「彼女は気恥しそうに『ドミノのお告げ』が候補作になった(※1)と、ボソッと私に告げた。/『へえー、ほんとか』と言った私に対し、例の上眼遣いで、『ふん、信じられない話みたいね』とか言った。それでも流石に弾んだ面持ちをチラと見せていた。」
「昭和二十七年『又新日報』に連載する久坂の小説(※2)を「もっと推敲せい」と偉そうに言った頃からか、私と彼女が店で話し合う機会は半減して行った。」とも回想する。氏は、音楽や芸術観に関しても、彼女をボロクソにやっつけたので敬遠されたらしい、と述懐している。

※1 昭和25年、彼女が19歳のとき、第23回芥川賞候補にあげられる。

※2 久坂『幾度目かの最期』(講談社文芸文庫)の巻末年譜によれば、昭和27年(21歳時)小説「坂道」を同紙に45回連載する。連載が終ったとたん、同紙は廃刊となり、2万円の稿料ももらわずじまいになってしまった。なお、同年譜の昭和22年(16歳時)の項に、その年、二度目の自殺未遂をおこしたが、「常に手にしていた数珠を捨て、仏教書を古書店に売る」とあるから、かなり早くから古本屋とのつきあいはあったようだ。ある程度店主となじみになってないと、なかなか本は売却しにくいものだから。

さらに久坂の人柄や容姿についても次のように描く。
「彼女は人見知りしない性と言うか、すぐ相手に親しい態度を取るのは、彼女の善良さを示す証しである。/彼女は強度の近眼である。/その彼女の眼つきが問題で、上眼使い、又はじーっと相手(男女共に)を見つめて、まじめな話しをしたり、冗談でニッコリ笑ったりする。笑顔の彼女は美人の要素を具えていた。」と。そのために、惚れられたと勘違いしていた男性も半分位いたと思う、と書いている。鋭い観察だ。こういう女性は実際周囲にもいるもので、若い純情な男性の心をふり回すものだ。

彼女を眼前に彷彿とさせるようなもっと微細な描写も出てくる。
「色浅黒く、太い眉、ニキビ、とてもいいのは彼女の眼で、大きめの口ではあったが、笑顔は大へん魅力があり、ハスキーな声と笑い声を混えた彼女の語り口は色気があって大へん結構であった。」と。これを読んで私もせめて彼女の写真なりと眺めたくなった。久坂葉子は今も再評価の動きが高まっている神戸の作家だから、こういう証言を紹介するのもあながち無意味ではあるまい。(もっとも私はわずかしか久坂の小説を読んでいないのだが。)

中村氏はまた、店を訪れた多彩な顔ぶれのお客たちにもそこで言及している。
「うちの店には美術書を多く集めていたので小松益喜、松岡寛一、奥村隼人、中西勝、その他、美術教師などが沢山本を漁りに来て、私も楽しくおしゃべりの相手をした。/当時あぶらの乗り切っていた川西英とは以前面識があったし、津高和一とは「百艸書屋」の岸百艸(昔ペラゴロ、当時俳人)を通じて親しくなった。/名作『象牙海岸』の詩人竹中郁さんも良く顔を見せてくれ、彼のお嬢さんがファミリアで創造的な仕事の手伝いをしていた。…(中略)…花森安冶がスカート姿でわが店に現われ、私はビックリし、エライ寿岳文章が、ブレークの本を見せてくれて感激したりした。」などと。

このうち、花森の来店については最近になって思い当ることがあった。
昨年末の梅田、大丸の古本展で手に入れた酒井寛『花森安治の仕事』(1988年、朝日新聞社)を読んでおくればせに知ったことだが、花森は明治44年、神戸の貿易商を営む家に生まれ、雲中小学校(現在の新神戸駅の近く)から神戸三中(現・長田高校)へ、後に東大へと進んだという経歴の持ち主なので、東京へ移ってからも時々神戸へ帰省したはずだから。また本書によれば、花森は生れ育った神戸が好きで、神戸一中出身の足立輝一(元、『週刊朝日』編集長)らと「バラケツ会」をつくって神戸で会がある度に出かけていたという。
さらに、たまたま参照した『六十年史』(兵庫県古書組合編)中に見出したのだが、昭和25年から花森の弟が須磨区の板宿で貸本屋、ロマン文庫を経営していたというから(これも初耳だ)、神戸の古本屋情報には事欠かなかったことだろう。

<< 前へ 次へ >>

← 第54回 「古書往来」目次へ 第56回 →

← トップページへ ↑ ページ上へ
Copyright (C) 2005 Sogensha.inc All rights reserved.