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古書往来
52.福田清人の小説・回想記を読む
─ 第一書房時代を中心に ─

最後になるが、最近、古本展で見つけた福田氏の珍しい小説に話を移そう。六月にOMMビルであった古本展に出かけ、池崎書店のコーナーで古い新書が並んでいる棚の中から、氏の『情熱の花』(角川小説新書、昭32)を引き出した。初めて見る小説だ。中をのぞくと、二段組み7.5ポイントの活字で、240頁の長篇である。読むのは一寸しんどいかなと一瞬思ったが、パラパラと見ると、中に編集者とか編集長、大学教授、出版社などが登場してくるようなので、それなら面白いかも、と思い、買うことにした。

「情熱の花」カバー
「情熱の花」カバー

レジにおられた池崎書店店主に一寸話すと、これは福田氏の著作ではあまり見かけない本だとのことなので、意を強くしたのである。それにカバーのそでには旧くからの文学仲間、伊藤整のすいせん文も付いている。
いつもなら、当分、積ん読にしておくのだが、珍しく数日後に読み出してみると、これがなかなか引きこまれる物語で、一週間位で読了してしまった。あとがきによると、本書は戦後五、六年後に、ある新聞通信社の依頼で新聞に連載されたもののせいか、多少通俗的ではあるが ─ 人間関係の偶然のつながりが目立つ ─ 最後まで読者をあきさせない展開になっている。物語はこんがらがって錯綜しているので、忠実にあらすじを追うのはやめておこう。

主な登場人物として、戦前は名家で戦後没落した中園家の娘、美紀は、奔放で妖艶な美女だが、戦時中に親の意向で結婚させられ満州に渡り、当地では社交界の女王だったが、終戦の混乱期に夫に死なれ、帰国して実家にいる。その中園家の書生だった畑大作は今は実業家として活躍中で、美紀を昔から慕い、今も求婚しているが、彼女の方は避けている。一方、偶然、中園家の近くの沼で美紀と出会った、これも満州帰りの、暢気で正義感の強い青年、本木三省は『表情』という雑誌の編集者である。彼が美紀と別れた後、原稿を依頼しに行く相手が、元、大学の同級生で今は同大学の助教授になっている白井修吾で、戦後若手評論家として売り出し中の人物。
実はその東亜大学での共通の恩師、奥村博士に白井は初めは見込まれ、戦時中、博士の名を借りて著書を出すが、戦後、その本が問題になって博士は責任をとり、大学を去る。しかし白井はそれを少しも恥じないばかりか、野心家の彼は東亜大学の理事に選ばれ、今度は校名を改称しようとしたり、経営内容を改悪し、学長の地位に就こうと画策している。奥村博士は戦前、その大学で多大の功績があった人で、その情報を知って心労し、病いに倒れる。博士の一人娘、典雅で無邪気、かしこい瞳をもつユカリを白井は妻にと狙っていたが、彼女は白井の人間性を見抜いて退け、戦後再会した本木にひかれてゆく。本木も昔からユカリが好きだったのだ。
そして、いろんな事件が起こるが、本木やユカリの尽力、そしてやはり同窓の先輩だった畑大作の寛大な援助も得て、大学の改悪を阻止し白井を追放して、博士の念願だった名著『東洋古代思想論』の改訂版の出版をも実現させる。博士はついに帰らぬ人となるが、本木とユカリは結ばれ、美紀も畑の真実の愛を知って結婚する。結局、またしてもへたな要約をしてしまったが、大体のイメージはこれでも伝わっただろうか。

この小説で、編集者としての私が共感した描写があるので、一ヶ所だけ少し長いが引いておこう。 「三省は、その日の行動に移る前ポケットから編集手帳をとりだしてみる。雑然とペンや鉛筆で、縦や横やななめに記された文字で汚れたページ。雑然とした、しかし社会と人生の一切を、たたきこんだ、生きた百科全書の進行している編集者の手帳。会議やプランや執筆予定者が行を乱して、そこにあふれている。」と。おそらく、氏が『セルパン』の編集をしていた頃、実際にこういう手帳の使い方をしていたのではなかろうか。私も今でもそうだが、手帳の日付などは全く無視して、そこに企画のメモや仕事の予定、気になる本や行事情報など、何でも書き込んでいる。


最後に一寸した発見も記しておきたい。
小説に東亜大学が出てくるが、これは麹町の丘の上にあり、ある漢学者によって明治の初期に建てられた長い伝統のある大学と記述され、夏目漱石も若い日学んだ所とある。さらに島崎藤村も『夜明け前』の完成に近い頃、この大学の学友会の文芸部員が講演を頼みにいくと、喜んで特別に出てくれたという。そして「その講演筆記は、後にこの大学のプリント刷の部報にでた。しかし戦後でた藤村の原稿、言説のどんな断片でも収録した藤村全集にも、これはみのがし、くわしい年譜にものっていない。」と書いている。これは小説家というより、氏の近代文学研究者としての書誌学的発言であり、おやっと思った。今回、前述の『近代作家回想記』をざっと見返した私には、どうも見覚えのある記述である。そこで急いで再び頁を繰ると、やはり出てきました!
「田山花袋、島崎藤村、徳田秋声、正宗白鳥」の項で、氏は「藤村は九段上の二松学舎で「文学雑感」と題した講話を行った。」とちゃんと記しているのだ。その頃、二松学舎では塩田良平が国文学の教授で、彼が顧問の二松文学会の創作研究会に、福田氏を月一回講師に呼んでくれた。そこで学生が藤村を招いて話を聞こうということになり、学生の血気で依頼したら、「東洋の学問を主とする二松学舎なら出かける」と快諾されたのだという。「その講話筆記はプリント刷の機関誌『歩調』(第一巻第四号)に十六頁にわたり載っているのを私は保存している。」と、より詳細に報告している。

前述の「青春年鑑」でもそうだが、フィクションの中のどこかに、実際の事実を一寸盛りこむのが氏の小説技法の一つであることがここでも確認できた。これも「古本が古本を呼んだ」ささやかな収穫である。

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