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40.年譜未掲の矢田津世子作品を見つける! ─ 花田俊典氏による評伝とともに ─ |
ところで、矢田津世子の評伝としては唯一(?)近藤富枝『花蔭の人』(昭53、講談社)が出ており、評価も高いようだが、私は古本で入手して持っているものの、未だに怠けてちゃんと読んでいない。だから、この一文もあまり自信をもって書けないのだが、その代りに以前、珍しい矢田の評伝文献を古本で入手したので、それを紹介しておこう。一昨年秋の天神さんの古本祭りの折、100円均一コーナーで見つけたものである。ここでは古い未知の雑誌も割り合い出るので油断ならない。 |
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それは『文献探求』(1,2,5,6,8号、昭52〜56年、九州大学文学部国語国文学研究室内 文献探求の会刊)というB5判の、今では珍しい謄写版印刷の研究誌である。表紙の目次を見ると、中野三敏氏の「蔵書目」の連載や今井源衛教授の「研究室のあれこれの事」などが載っており、殆んどが古典籍や国語学の論文だが、唯一、近代文学関係の論文として、当時はまだ講師であった花田俊典氏が「評伝 矢田津世子(一)〜(五)」をそこで連載しているのが目に止ったので買っておいたのだ。 |
『文献探求』表紙 |
この連載(五)までは矢田が昭和5年(24歳時)、文壇デビュー作となった『文学時代』(新潮社)の懸賞入選作品「罠を飛び越える女」の紹介あたりから始まり、昭和9年(27歳)、川端が『文学界』で書いた矢田評価のエッセイをめぐる考察位で終っており、その後の連載は残念ながら読めない。しかし、これだけでも、矢田の初期のプロレタリア文学とモダン派の混交(ミックス)した作風の珍しい作品の紹介や、矢田と坂口の出会いから別れまでの年月日の正確な確定などを、坂口の矢田宛書簡、当時つきあいのあった文学同人仲間 ─ 『桜』同人の大谷藤子、田村泰次郎、井上友一郎ら ─ の回想文や証言を豊富に引用しながら綿密に考証していく手さばきは鮮やかで、読みごたえがあるものだ。この連載の途中に、近藤氏の評伝も出たので、それにも大いに敬意を払っている。実は私は、この続きも読みたかったし、その後これが本になっていないか確かめるため、思いきって現在は九大教授である花田氏の研究室に直接電話したことがあるのだ。(私は未知の大学の先生には殆んど最初は電話はせず、手紙を書く主義なのだが、その時はどういう心境だったのか?)たしかその折のお話では、近藤氏の本が出たので、その後は完結せずに怠けて中断したままになっているようなことを伺った記憶がある。残念に思ったが、そのまま花田氏のことは忘れてしまっていた。 |
『ふるほん福岡』表紙 |
最近、福岡のデパート主催の合同目録が届いた際、注文する本がなかったので、福岡の古書組合(略称)が出し始めた合同目録『ふるほん福岡』2,3号を注文して送ってもらった。(1号はすでに入手)二冊ともエッセイ満載でとても充実しており、地元在住の作家、村田喜代子、森崎和江さん、沼正三、野阿梓氏(SF作家)らの古本、古本屋とのつきあいを書いたものや様々な分野の研究者、それに地元や東京の古本屋店主たちも健筆をふるっている。 |
後者の一例だが、現・神田の中野書店主、中野実氏が、昭和20〜35年頃まで(20〜30歳の折)久留米で駆け出しの雑書古本屋を開いていたことなど、私は初めて知った。 |
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石川氏の一文によれば、花田氏は2004年6月2日に53歳の若さで急逝されたという。氏は大学での多忙な研究指導や外部からもちこまれる様々な企画にも真摯に対応し、「そうした世俗の垢を洗い落とす場」が、「晩酌」として帰りに寄る古本屋だった。「古本屋での花田さんは、とにかく安くて、古くて、埃をかぶった本を好んだ。」「誰も見向きもしないような本を自分の手で『成仏させる』のが楽しいといっていた。」こうして自分の手足でかき集めた「自前の情報」をもとに独自の研究スタイルで『太宰治のレクチュール』や『清新な光景の軌跡 ─ 西日本戦後文学史』なども書き上げ出版した。氏の書庫には幅広いジャンル別に配架された約五万冊の本が並び、「隣接する書斎には小さな小さなベッドがあり、花田さんは毎日そこで身体をまるめるようにして眠っていたそうだ」「寝床にまで本を持ちこんで活字をむさぼり読」み、独りになってものを考えていたのだろう、と記す。 |
一方、同じ号で、長い交誼があった福岡の書肆幻邑堂の助広信雄氏も「渡されなかった本」と題する一文で、花田氏の追悼に代えて、たまたま手元に入ってきた、花田氏の守備範囲に関係する火野葦平の軍隊時代の上司に当る佐藤巌という人の出した120頁程の小冊子『杭州西湖の栞』(昭14年、内山書店)を紹介し、今度先生が店に来たら見せて話そうと引き出しにしまっておいたが、とうとう果せなかったことを書いている。最初に氏が店をのぞいたのは学部の学生の頃だったかもしれないと言い、「よく無頼派作家の裏話など煙草をくゆらせ楽しく話しておいででした」とも偲んでいる。短いが感銘深い文章だ。 私はといえば、わずか一度切りの、それも声だけの短い接触ではあったが、それがやはり古本展で見つけた雑誌を通しての御縁であり、その先生がまた、古本漁りの達人でもあったことを知り、感慨深いものがあった。花田氏の遺された前述の著作も、いつか読んでみたいと思う。 |
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