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古書往来
39.国文学者の小説・随筆を私家版で読む

古本展で本を漁っていると、大部分は市販された本だが、中に私家版の本も混ざっており、その中で時たま、キラリと光る、地味だが味わい深い冊子に出会うことがある。これも古本漁りの醍醐味の一つであろう。考えてみると、私家版は古本屋でしか殆んど手に入らないのだから、貴重である。

今回はそんな本たちの中で、国文学者が書いたものばかり、紹介してみよう。しかも共通するのは皆、古本漁りの好きな著者であることだ。私はこの分野に暗くて詳しいことは分らないが、専門の業績は充分あり、専門書は出していても、一般向けの著作はごく少なく、全国的にはあまり知られていない方たちだろう。国文学者だけあって、タイトルも各々なかなか含蓄のあるものだ。

まず、今年初春の京橋ツイン21ビルの古本展でタイトルに引かれて手に取ったのが、110頁の薄い本、三沢諄治郎『学問の入口 ─ 創作とエッセイ』(昭53)である。著者は未知の人だが、創作も含まれているようだし、値段も500円なので、喜んでレジに持参した。実は、私は以前出した本に「国文学者が書いた小説」なる一文を載せており、坂本浩氏が若い頃出した珍しい小説『時ぞ待たるる』などを紹介しているのだ。本書の「あとがき」を見ると、子息の方が書いており、遺稿集だと分る。父が戦後書きのこした未発表の文章で比較的愛着をもっていたもの三篇を収めてあり、「父は学者であるまえに、多情多感な文学的求道者だったのである」とも述べている。奥付の詳しい略歴(これは読者に親切だ)を読んでゆくうち、私はアッと驚く箇所に出会った。というのは、三沢氏が大学教授になる直前に、六甲高等学校教諭、とあったからだ。私が通っていた母校である!しかし、御名前はまったく記憶にないので、私が入学する前におられた先生であろう。(いや、国語教師も何人かおられたから、教えてもらわなかっただけかもしれない。)この本との縁をますます感じる。(※1


※1 そういえば、木山捷平が、短編「弁当」で、岡山の中学時代、教えを受けた国語教師、平賀春郊先生の出した非売品の歌集を手に入れ、その年譜などを参照しつつ、往時の先生の個性的なおもかげを活写している。平賀氏は宮崎県延岡中学出身で、牧水と同窓、「創作」同人の歌人でもあった。また、高橋英夫氏も自分が講義を聴いた旧制一高や東大の先生方(主にドイツ文学者)の旧著を次々に紹介している(『果樹園の蜜蜂』岩波書店、など)


略歴によると、三沢氏は明治25年、宮城県に生れる。中学を中退し、札幌、東京、水戸などで職業を転々としながらも独学。昭和2年、郷里で代用教員となる。昭和6年、高等教員検定試験合格。教職のかたわら、東北大法文学部の専攻生となり、山田孝雄に師事して国語学を専攻する。四校の高校教諭を経て、最後は甲南女子大学教授になる。文学博士。となっている。昭和53年86歳で亡くなられた。巻末に著作目録が8頁あり、『韻鏡入門』『国語教養便覧』など単行本も専門書が12冊あげられているが、戦後刊のものは殆んどが私家版である。その中の『韻鏡諸本並びに関係書目』(昭26)は神戸の南天荘書店から出ている。ここはJR六甲駅前にある書店で、私も高校時代、学校帰りに時々立ち寄った懐かしい所だ。出版もしていたとは知らなかった。

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