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4.古本に再会する話 |
古本の世界ではこの種の不思議な話題に事欠かない ―― |
今回はガラッと話題を変え、古本奇談(?)を御紹介しよう。私は昨年、ある郊外の古本屋で、今まで全く知らなかった橘忠衛(故人)という英文学者の『火崑岡に炎ゆれば』(昭52、英宝社)が目に止まり、面白そうなので買ってきた。 それはともかく、収録の一文、「愛書」によれば、氏は高知で育ち、早くも中学生頃から英文学関係の古本漁りを始めている。 当時、はりまや橋の近くに岡本一方堂という古本屋があり、その主人がえらくひいきにしてくれた。ある日、「洋書で四六倍判くらいの赤黒い背革のついた九百頁程あるバイロンの詩集」を見せてくれ、5円で売りたいが・・・と言われる。ぜひほしかったが、大金なので躊躇して、次の日また出かけると、高校の英語担当の先生が10円で、別の高校の先生も15円で売ってくれと言われた由、主人は三人とも親しいので困って誰にも売らず、東京の古本市へ送ってしまった。 高校を卒業して東北大の英文に入った春、恩師の病気を見舞いに一時帰郷しての帰り途、神田の古本屋街を軒並に見て回り、地平社という店に入った。そこで何と、和書の棚の上に横積みされ、ひどく痛んだ洋書の一冊に、あの高知で見たまさにその本を見つけ、驚いたという。なぜなら、その本の見返しに同じペンの献呈書きを認めたからである。 実はこれに似たことを私も最近、身近に経験している。 さぞ、びっくりされたことだろう。確かに知らされてみると、その2ヵ月程前、私は10冊程まとめてその店へ本を送り、買ってもらった、その中の一冊である。 これは、胸の病いに冒され死を間近に意識しつつ、孤独に彷徨する心象風景を生々しく描いた私小説風の作品集である。この本は以前、九州の古本屋の目録で見つけ、入手したものだ。だから、九州から東京まではるばる旅したことになる。そして今は、読んでくれるお客をひっそりと待っている。 それにしても、私と縁のある方がたまたま上京した折に沢山ある古本屋の一軒でその本に出会うとは! |
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