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38.モダニズムの画家、六條篤と、詩人、井上多喜三郎 |
ところで、私は平岡氏による六條の生涯の歩みと巻末年譜を目で追っていて、アッと驚いた箇所があった。そこには、「昭和7年(26)から、井上多喜三郎の『月曜』に詩歌を発表」とあり、昭和12年(31)の項にも「この年から『月曜』の表絵、カットを担当する」とあったからである。 |
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『近江の詩人 井上多喜三郎』 カバー |
多喜さん(面識もなかったのに、以下、親しく、こう呼ばせていただく)については、最近、再評価の気運が高まり、まず、地元の近代文学研究者、外村彰氏が滋賀の彦根市にあるサンライズ出版から『近江の詩人 井上多喜三郎』(2002年)という充実した評伝を出し、続いて昨年、地元の刊行会から一冊本の全集も出版された。(後者は少し値が張るので、私は残念ながら入手できていない。)前者は直接、出版社に注文して取り寄せ、一気に読了したものだ。 |
その内容は、細部は忘れているし、多喜さんの評伝なのだから、その周辺の人物の記述についてはなおさら、殆んど記憶にない(強弁するなぁ)。 |
「まだほとんど世に知られていない詩人の貴重な評伝が滋賀の出版社から出ている。外村彰著『近江の詩人 井上多喜三郎』だ。私が多喜さんのことを知ったのは、以前天野忠の『我が感傷的アンソロジー』で、その人と作品を独特の視点から浮き彫りにしたのを読んだのが最初である。それきり忘れていたが、昨年、古本屋で河野仁昭著『戦後京都の詩人たち』を見つけ、詩誌『骨』の同人を次々と紹介した好文章の中で再びこの詩人と出会った。そこに引用された晩年の一篇「私は話したい」に感動し、いっぺんにその魅力にとりつかれてしまった。
「目白やきつつきと この詩集には、他にも京の錦市場の店屋の名称を延々と綴る、言葉の奔流(外村氏)のような「魚の町」という実にユニークな詩もある。 風が産毛のように吹いている 本書は、多喜さんの豊饒な詩の世界を知るための唯一の優れた入門書である。カバー、口絵写真の、なんと詩人らしい風貌であろうか。」 |
なお、大野新が心のこもった「序」を寄せており、氏が病気回復後、職探しに困っていた折、多喜さんが友人の山前実治の「双林プリント」を紹介してくれたことを述べ、「命の恩人」と呼んでいる。 以上、短いスペースで、充分意を尽した紹介ではないので、関心のある方はぜひ出版社に注文して読んで下さい。 |
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