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34.詩人、黄瀛(こうえい)と日本の文学者たち |
さて、私の手に入れた本だが、内容は、黄瀛の最近の詩から始まり、回想篇1 ≪瑞枝≫のころの黄瀛さん/回想篇2 同窓生と縁故者の思い出から/最近の黄瀛さん/研究篇 詩人黄瀛の作品とその背景、という構成で、黄瀛と交流のあった計31人の人々が各々思い出を綴っている。著名な文学者を挙げると、小野十三郎、更科源蔵、近藤東、野長瀬正夫、戸川エマ、近藤芳美、奥野信太郎、富士川英郎らである。(後二者は既出文の再録)薄い冊子ながら充実した内容だ。 全体として、印象に残ったことを書いておこう。 多くの人が印象的にふれているのが、軍隊では伝書鳩の係の隊長だったということで、暗示的な情報(信号)を扱う何か詩人らしい軍務である。 |
氏は終戦直後、日本軍人の帰還業務を担当し尽力した。昭和21年、人気女優李香蘭(山口淑子)の帰国許可がなかなか出ず困っているのを氏が彼女が日本人であることを証明したので、やっと帰国できたというエピソードも興味深い。黄瀛はまた、大へんな手紙魔で、日本で知り合った友人たちに久しぶりで便りを出す際、一人の人の手紙に薄紙に書いた十通位の他の友人への手紙を同封し、配信を頼んだりしたそうだ。一度か二度しか会っていない日本の友人の、細かなことも大へんよく覚えているようだと、四川外語学院の生徒も書いている。それぐらい、第二の祖国、日本での思い出を懐かしく想っていたのだろう。 中国文学者、小野四平氏によれば、黄瀛は1929年、21〜22歳の頃、陸士の卒業旅行の際、生前の、病床の宮沢賢治を花巻の家に訪ねた唯一の東京在の詩人であった。賢治も『銅鑼』同人になって詩を寄せたが、その中心人物、草野心平さえ生前の賢治に会ったことはなかった。一方、賢治は、高村光太郎には東京で会っている。 最後に、黄瀛の詩について、小野十三郎は「黄君の詩の魅力は、私にとっては、同時代の他の詩人には見られなかった新鮮な言葉の行使の仕方であった。黄君が詩を書くときの言葉の異常な屈折はちょっとまねができないもので、私はそこに強く牽かれていたのである。」と書き、詩人、森谷清も「・・・みずみずしい色彩と溢れる香りと、その情景のスケッチの確かさがあって、一貫して読む側をうっとりとさせる魔法を持っている。」と述べている。 「おゝ、よい! よい!/馬がかけるのはよい/女がすばらしくをどるのでよい/天幕がばたばたとはためくのでよい/あのコーカサスの女の肉体がよい/顔がよい/あはれ、あばれ馬にむんずとのって/あのはちきれる肉体ではねるのがよい/(以下略)」 |
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