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20.校正にまつわる著者のいらだち |
最近読んだあるエッセイ集の中に、少々気になる誤植を見つけた。 筑摩書房創業者、古田晃氏の名前が吉田晃氏となっていたからだ。 出版後これに気づいた著者も編集者も、著名な出版人の名前だけにさぞや落胆したことと思われる。しかもこの著者は昔、筑摩書房にいたことがある人なので、よけいだろう。 ところで、私は以前、47人の文学者や学者の誤植や校正にまつわるエッセイを集めて、類書のない『誤植読本』(東京書籍)なるアンソロジーを出したが、編集していて印象に残ったことの一つが、著者の側からの、編集者の厳密な語句の統一グセにいらだち、腹立ちさえ覚えるという文章が割に多いことだった。 |
「誤植読本」表紙 |
編集者が著者のために良かれと思って直した箇所が、かえって著者の意に反するというケースも間々あるようだ。 最近も谷沢永一氏の新刊『本はこうして選ぶ買う』の中に「正書法」という一節があり、日本語には元来、正書法(表記の規範)というものがないのに、編集者はどんどん直す、「一冊の本のなかに、もし昔、と、むかしとの使いわけを見出そうものなら、天変地異がおこったように騒ぎたてる悪習を、そろそろここいらで打ち止めにしてはいかがかな。」と書かれていた。 私はなるほどと思い、元々校正が苦手な私にとってはむしろ有難いお言葉と受け取った。(この本の中では、大阪、神戸の古本屋とのつきあいを生々しく回顧した「古本屋と昵懇になる法」がとくに面白い。) |
「わが文学的回想」表紙 |
さて、先日古本屋で見つけた平野謙の遺文集『わが文学的回想記』(昭和56、構想社)を拾い読みしていたら、「<が>と<で>の問題」という、氏の経験を正直に書いた一文があった。 簡単に要約すると、氏は同じ頃に初めての二つの出版社から小さな随筆を依頼されて書いたが、その中に 「私どもは・・・(中略)・・・断られたおぼえである。」 と 「私はくりかえしこの字引きを愛読したおぼえである」 という文章があり、どちらも校正段階で編集者がでをがに直したのを著者が元に戻したのに、印刷を見ると「が」になっていた。 |
それで「編集者に談じこんでいるうち、だんだん肚がたってきて、これは一種の著作権侵害じゃないかというところまでいってしまった。」 その一社の社長と担当編集者が謝罪にくることになり、氏はある新聞に謝罪広告を出せと主張したが、出版社はゆずらず、物別れとなったが、このことを随筆に書くという条件を付けた。 それがこの一文のようだが、後半で氏はその後、岩波の「文学」に載った大野晋氏の論文を読んで感心し、「私は音楽が好きだ」という文章が文法的に間違いではないと分かり、「私の文章を勝手になおした編集者に対する怒りなかばが雲散霧消した・・・」と結んでいる。 しかし、本書の他の頁ではまだ「・・・おぼえである。」と表記している。どうも、氏はこの表現にこだわりがあるらしい。 これを読んで、私はいくらなんでもこの場合は平野氏のいきすぎでは、と思った。高名な評論家の文章とはいえ、私の不勉強のせいか、「・・・おぼえである」という言い方は今まで一度も見聞した覚えがなく、どうにも解せない。 まぁ、電話での応待で編集者の方もムキになって自己主張したりして、氏も感情的に反応したのかもしれないが‥‥。それにしても、この件に関する限り、著者にねじ込まれてゴネられた編集者や出版社はさぞ災難であったろうと、同情を禁じえない。 蛇足だが、平野氏のこの本には、戦前、戦後の作家たちの執筆の舞台裏を自身の体験も含めながら描いた「罐詰の話」など興味深い文章もいろいろ収録されていることを付言しておこう。 (追記)余談になるが、昔から古書目録に見られる著者名や書名の誤植は多い。急いで作成するため、じっくり校正している余裕がないのだろう。 中には傑作もあって古本屋店主、中山信如氏の一文(『誤植読本』所収)によれば、大田洋子の『屍の街』が『屁の街』に、内田百けんの『いささ村竹』が『いささか村竹』になっていた例があるそうだ。 先日も東京から届いた合同目録のある店の頁の冒頭に、誤植でお騒がせしたおわびの文が記されてあった。 それによると、前回の目録で、『馬留謄抄』小沼丹著、となっていて、小沼丹にそんな著作がまだあったのかと、全国の小沼ファンからの注文が殺到したらしい。 正しくは岩波などからも本を出している小泉丹という寄生虫学者の本だった由である。これも傑作の一つに数えるべきか! |
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