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21.よみがえる幻の作家、仲町貞子 |
私は以前から、兵庫県赤穂の造り酒屋出身で歌人でもある山崎剛平が昭和10年に創め、早稲田大の級友、浅見淵(ふかし)や尾崎一雄が編集者として参加し、第一小説集叢書で太宰治『晩年』や尾崎の『暢気眼鏡』を始めとする昭和文学の名作を次々と出した小出版社、砂子屋書房に関心をもっていたので、古本探索でも砂子屋書房刊行本には常に注目してきた。 それで自然と同書房刊の仲町貞子の小説集『梅の花』と随筆集『蓼(たで)の花』の評判を聞き知り、汚本ながら手に入れたことがある(例によって今は手離してしまい手元にないが)。 ただ、その折は集中して読まなかったせいか、それほど強烈な印象は受けなかった。 それに、仲町貞子が現在、文学史の上でどんな評価をされているか、又その生涯や人間像についてのまとまった本が今まで全く出ていなかったので、今ひとつ鮮明なイメージが浮かばなかったのだ。 |
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ところが、最近、朝日の書評欄に小さく、田中俊廣著『感性の絵巻 仲町貞子』(長崎新聞新書)が紹介されていたので、早速直接注文して取り寄せた。 220頁の新書判で、その前半半分に、仲町の短編七篇と随筆六篇が収録され、あと半分は長崎在住の近代文学研究者、田中氏による熱のこもった評伝が載っている。 私は作品と評伝を交互に楽しみながら読んだ。そしていっぺんに仲町ファンになった。 (ちなみに、最近、地方の出版社から古本好きが読みたい本が割とよく出る。秋田の五城目町教育委員会から出た『矢田津世子作品集』や滋賀のサンライズ出版から出た『近江の詩人 井上多喜三郎』など、地元出身のマイナーだがすぐれた作家、詩人を再評価する動きに沿った出版で、私共には有難い活動だ。) |
「感性の絵巻 仲町貞子」表紙 |
仲町貞子も今はもう殆ど忘れられている作家だと思うので、本書によって少し略歴を紹介しておこう。 明治27年、長崎県現・有明町に、医者で熱心な儒教信奉者でもある父と敬虔なプロテスタント信者の母との間に生まれ、両親の深い愛情のもとで育つ。県立高女卒業後まもなく、医学志望の学生と結婚。しばらく京都に住み、その後夫の開業地別府に移住。大正14年別府滞在中の詩人、北川冬彦と出会い、一緒に東京へ出奔する。冬彦と同居し、託児所を営む。この頃、北川の友人、梶井基次郎と文通する。梶井や武田麟太郎の勧めもあって三十代後半から小説を書き出す。昭和11年42歳の折、『梅の花』出版。その後、気鋭の文芸評論家、井上良雄と恋愛し昭和12年結婚。昭和14年、『蓼の花』刊行。昭和15年頃から文筆活動途絶。井上良雄は神学者の道を歩む。昭和47年、白血病で72歳で亡くなる。 その人間像は詩人の永瀬清子や井上などの証言によれば、正直で素直、まるで童女のように純真であり、加えて母性のもつ懐の深いおおらかさとユーモアも同居していたという。 確かに本書の口絵にある三葉の仲町の写真からもそのような人柄は伝わってくる。彼女と接する多くの人々を魅了する人柄だったようだ。 ただ評伝にあるように、北川、井上との三者間の心理劇は悲痛を極めたものだったろうが、さすがに文学者同士の三角関係はドロドロしたものをやがて超克しえたのだろう。 後になっても仲町も井上も、北川に対する期待と敬意のこもった文章を書いている。 |
「カクテル・パーティ」表紙 |
一方、北川の方は、私が以前入手した随筆集『カクテル・パーティ』(昭和28、宝文館)中の「疾風怒涛の頃」という一文で、青春時代を振り返り、北川が三高から東大仏文科に入って、夏休み、実家の満州旅順へ帰省中、安西冬衛らと出会い、詩同人誌『亜』を出し始めたことを語った後で、こう書いている。 「しかしまだ私の詩への方向は決定的ではなかった。この方向を決定したのは、ある女とのめぐりあいによってである。このことはレイレイしく書きたくはないのだが、この女が私の、当時としては型破りの詩らしくない詩を支持し、私の詩集『検温器と花』はこの女の出費で出版された。」と微妙な書き方をしている。 ともあれ、仲町の影響は大へん大きかったわけだ。 |
さて、『梅の花』は浅見淵が文芸誌『作品』に載った仲町の「おとみさん」を読んでひどく感心し、山崎に強力に勧めて砂子屋書房から出したものだが、この作品集は井伏鱒ニや三好十郎らも高く評価し、永井龍男も「なによりも仲町氏の作品は読者を憩はせて呉れる」と評した。 尾崎一雄は、装幀もいいが「内容も立派である。第一、仲町貞子そのものが立派であった」と書いている。 出版史として興味深いのは、戦後、もと国文社にいた詩人、田村雅之氏が山崎剛平氏の了解を得て「砂子屋書房」を引き継いだが、そこから仲町の夫・井上良雄氏の大学での教え子二人の努力によって、平成3年『仲町貞子全集』が出版されたことである。 田中氏は「仲町貞子文学が招き寄せた縁といえよう」と述べている。 収録された作品は、故郷長崎や京都での身辺生活に材をとった物語で、庶民群像があふれるような感性とユーモアをもって生き生きと描かれたものが多く、私は一寸、女・井伏のような味わいを受けた。 井上はその文体を「対象の中に生きる文体」と見事に言い当てている。仲町の作品をもっと沢山読みたいものである。 |
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