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古書往来
19.岡田三郎助の豊穣なるアトリエ空間

黒田清輝や藤島武二、浅井忠らと並んで、日本近代の黎明期洋画画壇をリードした巨匠、岡田三郎助の作品を私が好きになったのはもう十年以上前のことになる。

私の最初のエッセイ集『古書と美術の森へ』(平成6年)に「後ろ姿の絵画」という短文を収めているが、それによると、古本屋で見つけた『女性の美』という展覧会図録の表紙装画の「あやめの衣」を見たのが、どうやら岡田作品との最初の出会いのようだ。(自分の本を見ないと記憶がはっきりしないのだから、困ったものだ)

その、色彩も明るく、気品ある匂い立つような女性像に強く魅きつけられ、たちまち岡田ファンになった私は、それ以来、古本屋でいろんな岡田三郎助展の図録を探し出し、計五冊は持っている(一冊は「藤島武二・岡田三郎助展」の図録」)。

「あやめの衣」
「あやめの衣」

各図録に収録された作品は重なるものも多いが、そうでないものも何点か必ずあるので、好きな画家の作品は一点でも多く見たい私は異なる展覧会の図録を探すことになる。

何しろ、弟子の田村一男氏によれば、遺作展の折だけでも562点もの作品が出展されたという。

戦前、戦後に岡田の作品図録の大冊が京都の便利堂から刊行されていて、美術専門の古書目録で見かけるが、残念ながら高価なのでとても手が出ない。

「美術」表紙
「美術」表紙

さて、私は過日久しぶりに老松町通り(大阪市北区西天満・創元社旧社屋があった近くで懐かしい!)にあるギャラリー・ヒロオカに立ち寄った。細長い店で両側の棚にぎっしり美術書がつまり、通路が狭く、一人でも先客がいるとすれ違うのが困難な店内。

棚の前にも雑誌類が山積みされているが、その上の方に「美術」岡田三郎助号(昭和14、3月号)を見つけた。

口絵図版一枚欠で背も補修されているため、今の図録の値段より安かったので私は喜んで買って帰った。

この号はカラー三点を含む岡田の口絵図版20点の他、彼の「アトリエ雑話」再録、「ものずき」という談話、それに中沢弘光、和田三造、南薫三、山下新太郎、伊原宇三郎、杉浦非水、岩田藤七(ガラス工芸)、広川松五郎(皮革工芸)、太田三郎といった錚々たる友人画家や弟子たち総勢17人による人物論や交友・回想記が収録されており、次々と読みふけってしまった。

挿入されている図版にも、戦災で焼失してしまった大作「読書」や岡田制作の銀象眼小函、レリーフなどがあり、貴重である。

実際、図録の研究論文を見ると、この号は岡田の芸術の研究のための基本的資料のひとつにもなっているようだ。岡田は、丁度この雑誌が出た六ヵ月後、昭和14年に71歳で亡くなっている。期せずして追悼号になってしまったわけだ。

岡田の生涯や作品については専門家の記述に任せるとして、私は多くの画家の思い出を読んでいるうちに、岡田のアトリエ空間にとくに興味を抱いた。

自宅のアトリエには、彼の高潔で温容な人格を敬慕する弟子たちが足繁く訪れ、毎晩のように画談に花が咲いた。伊原は「その為に先生の貴重な時間や精力が空費さるることは実に莫大なものであろう。・・・(略)・・・静物に描く筈の薔薇の花を、たうたう描きそびれて枯らしてしまふことなども頻りだといふ」と述懐している。

自分の仕事は犠牲にしてまで弟子の相手をする人だったのだ。岡田のアトリエ空間はどんなだったのか、田澤田軒の文を引こう。

「初めて岡田さんのアトリエに通されたものは、足の踏み處も身の置き處もないやうに、広いアトリエの全部が雑多な集積によって埋められているのに驚くであらう。冬なら大きな石炭ストーヴの周囲が書物やポスターや裂地や人形やかれた花で覆はれているのに、よく火事にならぬと思ふであらう。しかも岡田さんはそのストーヴのそばに画架を立て、モデルを椅子に倚らせて創作をしている」と。

アトリエの岡田三郎助(「美術」より)
アトリエの岡田三郎助
(「美術」より)

岡田は古今東西の小刀類、古代裂、古墨などの蒐集家としても著名で、それらがアトリエ空間の隅々にまで占領していたと思われる。

杉浦非水も「僅かに一條の通路と数個の椅子と卓子と、餘はあの広いアトリエが美術工芸品と美術資料の芥の山で充たされている。芥と云ふ字は廃物を意味するが、此處の芥は偉大なる活物です。一度拂(はた)くと千金の埃が立ち登る、それは美術酵母の靉靆たる姿です」と尊敬をこめて書いている。

そんな空間の中で「先生は画室で仕事をやり出すとコツコツ深夜迄又いや暁方迄もやり出されそのままゴロッと画室の片隅の椅子の上に身を横たへてうたた寝をされる」(中野和高)。

又広川は「雑然としてしかも香気を発散するアトリエの片すみで、ある夏、螢籠を作り、その螢籠の木の枠に朱や金泥で丹念に模様をえがいて、夜の更けるのも忘れている岡田さんに私は最初驚異の目を瞠った」と語っている。

早くから絵画だけでなく、様々な工芸品も制作した岡田の姿が目に見えるようだ。実際、こういった一見雑多に見える数々の蒐集物を見ながら、多くの優れた画家や工芸家が育っていったのである。

今、私がこれを書いている机の上も、雑然たる書類や手紙類の山で、わずかのスペースしか書く場所もない。私の作り出すのは何ら創造的なものでなく、岡田の仕事とは比べるべくもない。(実は単なる整理ができない、ものぐさ人間です!)

けれども、こういう巨匠のアトリエ空間の有様を知ると、何だか身近に感じられ、安心感(?)さえ覚えてしまう。

(追記)もう一冊、以前古本屋で入手した岡田が登場する小説を想い出した。岡田の弟子であり、芥川賞作家でもある富沢有為男の『ふるさと』(昭和17、桜井書店)所収「林泉」という短篇である。この機会に再読したが、心に染みいるような好篇であった。

周知のように岡田は小山内薫の妹、小説家の八千代と結婚するが、芸術家同士の結婚生活は難しかったらしく、岡田が56歳位から二十年間程別居している。

小説では、岡田が63歳の時フランスを再訪した折、度々ヴェルサイユを訪れて公園で写生を楽しんだが、滞仏中の富沢は時々、当時巴里在住の八千代夫人を誘ってヴェルサイユへ師匠に会いに行った。その折の夫妻の微妙な心の交流の様を、画家らしい色彩豊かな風景描写とともに、暖かく敬愛をこめて描き出している ―― その間に、マリー・アントワネット王妃の悲劇の生涯を偲ぶ叙述を挟みながら・・・。

そういえば、岡田は文学にも造詣が深く、泉鏡花を中心に、水上瀧太郎、久保田万太郎、小村雪岱らが集った九九九会のメンバーでもあり、鏡花全集(春陽堂版)の装丁をしている。又、田山花袋『田舎教師』の口絵や鏡花『草迷宮』の装丁・口絵も手がけた。

「ふるさと」表紙
「ふるさと」表紙

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