← トップページへ
← 前へ 「古書往来」目次へ 次へ →

古書往来
2.尾崎書房のこと
「尾崎書房はふしぎな集会場であった。そこに居ると、誰も彼もが、やたらに贅沢な気分になり、贅沢な企画を樹てた。」

最近、朝のTVのワイドニュース番組で、八千草薫さんが「お母さん」というテーマの児童詩35作品を朗読したCDが発売されたのを機会にインタビューを受けていた。

これらの詩は、昭和23年2月に、大阪の尾崎書房から創刊され、途中理論社に発行元が移り、昭和46年まで続いた有名な雑誌「きりん」から選ばれたという。
私はすぐ、以前大阪の古本屋で「きりん」の詩のアンソロジー『全日本児童詩集』(昭25年、尾崎書房)を見かけながら、買い逃してしまったことを憶い出した。これは、川端康成を筆頭編者に掲げ、井上靖や竹中郁、足立巻一らが編集したものだ。それにしても、大阪発の雑誌収録の作品が高く評価され、CD化されて今に甦ったのだから、大阪在住の編集者としては一寸誇らしい気になる。

この尾崎書房は、梅田堂島にあった毎日新聞社の近く、桜橋の東洋工業ビルの向いにあった。足立巻一らの談話によれば、昭和21年頃、元東宝の助監督をしていた尾崎橘郎氏が書房を創始した。その当時、井上靖が毎日新聞の学芸部副部長をしており、ある日、新聞社に井上氏を訪ねてきて、文化新聞を出したいと相談された。が、話しているうちに児童詩の雑誌を出すことになった。それで、竹中郁を監修者にし、井上と足立が編集することになる。

井上は23年暮まで大阪にいたが、その戦後の三年間を「狐に化されたような奇妙な季節だった」と回想している。それは出版人も同様だったらしい。井上は「私たちは毎日のように、新聞社の近くの尾崎書房に集り、風呂にはいり、闇市から仕入れた夕食のご馳走になった。尾崎書房はふしぎな集会場であった。そこに居ると、誰も彼もが、やたらに贅沢な気分になり、贅沢な企画を樹てた。」と『過ぎさりし日日』(昭52年)の中で書いている。

一方、戦前の弘文堂(京都)を経て、現在は一燈園燈影舎(京都)の編集長をしている原野榮二氏の随筆集『うらばなし』(平2年)によると、戦後、氏が疎開先の伊予三島にいた折、当地の大西製紙の社長の娘を嫁にもらった尾崎氏が、会社に仙花紙が在庫されているのに目を付け出版をやりたく、氏を顧問にと要望された。

原野氏は以前から林芙美子と親しく、戦時中に氏を介して朝日に連載した『波濤』が弘文堂では出せなかったので、それを『麦秋』と改題して尾崎書房から出したという。これに続けて芙美子の小説は『野麦の唄』(昭23年)、『舞姫の記』(昭22年)、『宿命を問ふ女』(昭25年)が同社より次々と出ている。

ほかに文芸作品としては、竹中郁の詩集『動物磁気』(昭23年)、丹羽文雄『似た女』(昭22年)、芹沢光治良『女の運命』、木々高太郎『エキゾチックな短編』『緑色の目』なども出している。原野氏によると、織田作之助や川端康成の小説出版も計画していたが、未刊に終ったらしい。詳細は不明だが、本の発行年から推測すると、25年夏頃までは活発に活動していたと思われる。

このように戦後の一時期、新興の出版社が大阪にもいろいろ出現したが、残念ながら短命に終ったところが多いようである。

※ 上に私は原野氏の本に従って、林芙美子の『波濤』が弘文堂から出なかったと書いたが、先日、古本で手に入れた講談社文芸文庫の林芙美子短篇集の巻末にある「著書目録」を見ると、『波濤』は昭和14年に朝日新聞社から発行されており、こちらが正しいと思われる。回想記には往々にして著者の記憶違いがあるものである。


← 前へ 「古書往来」目次へ 次へ →

← トップページへ ↑ ページ上へ
Copyright (C) 2005 Sogensha.inc All rights reserved.