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古書往来
1.波屋書房のこと
この夏、私は思いきって名古屋まで遠出し、コピーしてきた。それは、川端康成、長沖一、藤沢、武田、林熊王(秋田実)、小野勇ほか4名による、いずれも心のこもった、哀切きわまる文章である ―――

昭和(戦前期)の文芸史に果たした創元社の役割と功績には大きなものがある。
これについては多くの人が指摘しているし、すでに創業者の矢部良策の評伝『ある出版人の肖像』(創元社、私家版)も大谷晃一氏によって書かれているので、私などが付け加えることもない。
ただ、長年、古本漁りをしていると、明治〜昭和の時代に大阪でも様々な出版活動をしていて、今は消えてしまった出版社の本に時たま出会うことがあり、意外に思うこともある。大抵は小出版社で短命に終わっているので、今は調べる術もない。

そんな中で、難波の千日前に書店も構えていた波屋書房は比較的知られている方かもしれない(書店は今も健在だが、経営者は替わっている)。
大阪在住の作家、故・藤沢桓夫氏がその名著『大阪自叙伝』(中公文庫、絶版)の中で、わざわざ一項立てて、その書房主を「恩人・宇崎祥二」として懐かしく回想しているからである。

この宇崎の編集、資金的後援で、大正14年から昭和5年まで、当時の大阪高校生やその出身者、藤沢や小野勇、神崎清らが結集して出した同人誌が、文学史でも名高い「辻馬車」である。後に武田麟太郎も参加して、全国から注目された。単行本も本山萩舟『江戸前新巷談』,土師清二『血けむり伊吹風』の時代小説や岡本綺堂の『ふたば集』などを出している。世界の探偵小説のシリーズも計画していたようだが、小酒井不木『疑問の黒枠』など2冊ほど出しただけで、若くして結核で倒れ、昭和5年、30歳で夭折してしまう。私は旧著『古本が古本を呼ぶ』(青弓社)でわずかに波屋書房のことを紹介したが、その後も気になっていた。

最近、小野勇の弟で、昭和の文学史上、逸することのできない文学雑誌 「作品」の編集人だった小野松二の生涯と仕事を追跡している畏友・林哲夫氏が書物雑誌『サン板(サンは舟へんに山)』誌の連載で、「作品」の前身誌「一九三〇」23号(昭和5年1月)の目次を紹介されたが、その中に何と、「宇崎祥二追悼」の特集が17頁にわたって組まれているのを見いだしたのである。
今のところ、名古屋大学図書館にその2冊しか所蔵されていない雑誌という。郵便ではコピーできないとのことなので、この夏、私は思いきって名古屋まで遠出し、コピーしてきた。

それは、川端康成、長沖一、藤沢、武田、林熊王(秋田実)、小野勇ほか4名による、いずれも心のこもった、哀切きわまる文章である。宇崎がジャーナリストとして優れた批評家だったこと、東京在の同人にしばしば催促のハガキを出して叱咤激励したこと、アナーキストたちに襲撃される事件の後、急に病気が重くなったこと、病床でよく俳句を作っていたことなどが書かれている。

雑誌で小出版社主の追悼記が多頁にわたって載ることは稀であり、大阪出版史の貴重な資料の入手に私は喜んでいる。


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