40.「名月や……」
待宵月(まつよいづき)
栗名月(くりめいげつ)
豆名月(まめめいげつ)
芋名月(いもめいげつ)
十六夜月(いざよいづき)
立待月(たちまちづき)
居待月(いまちづき)
寝待月(ねまちづき)
更待月(ふけまちづき)
……つきづきにつきみるつきはおおけれど、つきみるつきはこのつきのつき(詠み人知らず)
知り合いからのメールに「今日は豆名月」とあって、何だろうこれは……と調べてみると、出るわ出るわ。月にこんなにたくさん名前があるなんて、初めて知った。それぞれ微妙に違うらしいし、場所によっても呼び方が変わるらしい。それにしても、漢字を見ているだけで何だか和やかな気分に浸ってしまうのは私だけだろうか?
ずらっと並べて気づいたことがある。それは「待つ」という字が方々で使われているということである。現代人は待たなくなった。それと同時に月を見ることもなくなった。月を見ながら時が経つのを待つ……そんな贅沢な時間を持つ現代人をとんと見かけなくなった。「月が綺麗だね」というメールを送ると、「久しぶりに月を見た」とか「確かに。それはそれとして……」とか、中にはあからさまに「クソ忙しい時にアホちゃう!?」と言わんばかりの返事が返ってくる。ツイッターやケータイ、メールの即時性は確かに生活の利便性を高めはしたが、生活から情緒を奪ったことは間違いない。
月を見る情緒、月を待つ情緒、月を見ながら恋人に思いを馳せ、来し方行く末を思い、悠久の時と無限の宇宙(そら)を想う……。いや、そんな大仰(おおぎょう)なことでなくともよい。昨日出会った友人の冷たい態度の理由を考え、一昨日彼女から来たメールの意味を考え、明日会う同僚とのやり取りの心の準備をする……娘に姑の鬱憤晴らしをしたことを後悔し、上司の嫌がらせに対抗手段を練る……。
皆、うつ向いて考えるのでなく、月を見上げて考えてみないか? 怒りや悲しみや苛立ちや後悔を、ツイッタり(つぶやいたり)ブログったりする前に、月を見ながらじっくりしんみり味わってみないか? そうしてそれが、ゆっくりじんわり変化していくのを、少し待ってみないか? 真っ白な月だと少し眩し過ぎるが、幸いなことに月には餅つきウサギの形をした影があって、後ろ暗い思いを抱きながら眺める分には、ほどほどでちょうどよい。栗とか、芋とか、豆を頬張りながら、名月を嗜(たしな)みたい……こんな時代だからこその、ささやかな提言である。