39.「キャリア教育」
何で働かなあかんねん
何で勉強せなあかんねん
何で生きなあかんねん
人生なんてなんもええことあらへんやん
しんどいだけやのに、何で生きてんねん
お金儲けなんかせんでも、生活保護で楽しく生きたらいいやん
生きていくだけの最低限の収入があればいいねん
何が楽しくて生きてんねん
もういつ死んでもいいねん、俺は……
齢50になるまで、否定する言葉を見いだせないまま、ずっとこの感覚の中で私は生きてきた。この歳になるまで生き延びてしまった自分に、「後ろめたさ」を覚えていた。絶望を口にする彼らに、反駁する言葉などからきし思いつかず、幸いなことにカウンセラーという名目で、「共感的」に聞くことを隠れ蓑にすることができていた。「僕もそう思う……」言葉にならないこの思いを、抱き続けることで、クライエントにも、自分自身にも何か解決が見出されるのではないか……ずっとそう思いながら、恥ずかしい人生を生きてきた。
けれどようやく最近になって気づいたことがある。人生は楽しいから生きるのではない。お金を儲けるために生きるのではない。人に好かれるために生きるのでもない。他でもない「仕事」が、人生に意味を与えてくれるのだ。儲からない仕事でも、汚くて辛い仕事でも、同じことの繰り返しで惰性のような仕事でも、それをすることによって、生まれてきた自分の人生に意味が生じるのだ。何をして自分は世の中の役に立とうとするのか、どんな仕事をして社会に貢献しようとするのか、絵を描くのか、音楽を奏でるのか、橋を作るのか、ゲームソフトを開発するのか、政治家になるのか……それを見つけるために教育を受け、自らの特性を見極め、その実現に向けて努力するのだ。
永らくキャリア教育なんてクソ喰らえ! と思っていた。仕事なんてお金のため、生き延びるために嫌々やるもんだと思っていた。何を仕事にするかは、callingというくらいで、向こうから呼ばれて決まるんだと思っていた。が、そうではないのだ。不登校や引きこもりの人に、「何で生きなあかんねん?」と問いかけられて、力なく「いや、俺もそう思うねん……」とうなずく前に、我々仕事をしている人間は、もっと胸を張って、自信をもって、「この仕事をすることで、俺の人生に意味ができるねん」と言い放てばいいのだ。
アメリカではまず小学校低学年の生徒に、親がなぜその仕事に就いたのか聞いてきて、クラスで発表させるという。中学生になると皆で会社や株取引のシュミレーションを経験し、高校では仕事ごとに時給やその職につくまでの進路選択を詳しく記したパンフを貰うのだという。大学に入るまで、「進学するため」に勉強し、大学に入ったとたん学生のまま社会人になった教員に「職業選択」を教わるという日本のキャリア教育、やっぱりどこか間違ってる。