38.「山の行より里の行」

「山の行より里の行」という言葉がありますように、日々生活の中では、右か左か自分で判断をして、歩むべき進路を見いだして歩んでいかねばなりませんので、ぼやぼやしてはいられません。山の行とはかたちは違いますが、日常生活の中において起こるさまざまな出来事に正しく打ち込むこと、これも里の行であると思います。(塩沼亮潤『心を込めて生きる』2009年PHP研究所)

先日、同業者と話していて、「ホンマや、ホンマや」と合意に至ったので、僕だけが感じていたことではない事実をここに報告したい。

我々カウンセラーは、週一回とか、週複数回という時間制限の枠内で、人と深く話をすることに長けた「専門家」である。限られた枠内で、しかも原則的には日常的に接点のない人間関係の中で話を聴くから、夢の話が出てきたり、性の話や恨み辛み、要するに言い難い、見難い(醜い)話が聴けるのだ。

もともとカウンセラーは、人間関係が下手な人が多い。大学入試の面接をしていても、「相談されることが多いので、その特技を生かしてカウンセラーになろうと思った……」みたいな麗しい誤解からこの仕事を目指す人はむしろ少数で、大部分は「人と付き合うのが下手だから、そんな人の気持ちがよく分かるから……」カウンセラーになろうと思う人ばかりである。要するに、もともと人間関係が作れない、下手くそな人が多いのがこの業界なのである。

そんな人たちが臨床心理学部に入学し、人間関係トレーニングなんていう授業を受けて大学を卒業し、大学院にめでたく合格して行う実習が、上記のように枠に守られた「心理面接」である。そこでは確かに非日常的な心理臨床としての「心理面接」の見方、考え方は教わるが、日常的な人間関係の過ごし方は教わらない。というか、それは大学院生たちの「入院生活」に委ねられている。筆者はよく院生たちに、「大学院生活を生き延びなさい」と言っているが、それは人間関係が下手くそな仲間たちの間で日常生活を生き延びれば、それこそが「人間関係トレーニング」になっているのではないかと思うからである。

さてその後、カウンセラーたちは人生の大部分を、時間で区切られた対人関係の中で過ごすことになる。忙しいカウンセラーになればなるほど、いわゆる非日常の「心理面接」に忙殺される。そうして、同僚たちにいびられたり、酒の席でお酒を注ぎに回ったり、セクハラまがいの上司との枠なしの日常的な人間関係に悩まされる機会に慣れることなく、何十年も過ごすことになるのである。

山の行より里の行。しょせん、非日常での「面接」を生業とする臨床心理士でしかない我々は、被災地に専門家面して行く前に、当たり前の日常的な枠なしの人間関係をしっかり体験しておかないとね、というのが、この道20年の同業者との結論であった。