33.「介護の選択肢」

あなたは誰に介護してもらいたいですか?

・食事は?
60代以降、配偶者63%、女性ヘルパー55%、男性ヘルパー36%、娘18%

・排泄は?
60代以降、女性ヘルパー55%、配偶者27%、男性ヘルパー27%、娘18%、親族18%

・入浴は?
60代以降、配偶者45%、女性ヘルパー36%、男性ヘルパー27%、娘18%、親族18%

・散歩は?
60代以降、配偶者73%、女性ヘルパー55%、娘18%、親族、18%、男性ヘルパー18%

・施設と自宅、どちらで過ごしたい?
60代以降は自宅70%、施設30%、20代は施設70%、自宅30%

・外国人ヘルパー賛成、反対?
60代以降は反対55%、賛成45%、20代は全員賛成

あなたはこの結果をどう見ますか?

ふと思いついて、学生にこんな調査をしてもらった。聞き取り対象は60代以降11名、20代の大学生11名だから、ホンの参考程度の調査結果だけれど、案外リアルな数値ではないかとも思う。20代30代は親も元気だから、あまり介護は視野に入ってこないし、誰もがいずれは障害者……目は見えず、耳も遠くなり、歩くのも覚束なくなって車椅子……なんてことには、気づきさえしないだろう。

老い支度は死に支度。死に支度は生き支度。どう老いるのかを問うことは、どう死ぬのかを問うこと、結局どう生きるのかを問うことでもある。老い先を予め考えておくことは大切で、リビング・ウィル(注)を表明しようという主張が時代の流れでもあるようだ。だが、インフォームド・コンセント然り、リビング・ウィル然り、自分の人生を自分で決めようとすること自体、生かされているという意識とはかけ離れた、ヒュブリス(傲慢)ではないのか? そもそも自分の命だって、自分で生み出したものじゃなくて、親から与えられたものなのに……。

医者が神の代理を担わされるのは御免だというのはよく分かる。下手な医者に当たるのもまた運命と、従容と流れに身を任せるほどには、僕もさばけた人生を送っているわけではない。ただ、だからと言って、何もかも自分で決めるというのは、どうも面倒くさくって、性に合わない。床屋に行ったらいつものように、飲み屋に行ったらまずビール、レストランなら日替わり定食と、僕もやっぱりパック旅行の好きな日本人である。

僕が介護される年になる頃には、ア・ラ・カルトとセットメニュー、せめて松竹梅の介護セットくらいは、用意されていて欲しいものだと心底思う。

遺言は亡くなってからの財産などの処分を予め宣言しておく文書だが、リビング・ウィルは亡くなるまでの処置や希望を予め周りの人に指示しておく文書。