34.「脳の負担」

あれ? あれどこにやっただろう?
確かこの辺……いやこっちだったっけ?
そういや、この書類は……なんだっけ?
いやいや、先にあれを探さなきゃ……
あれ? 何探してるんだっけ?

ええと……次何をするんだっけ?
手帳見なきゃ……ええと、手帳はどこかな?
確かカバンの中……カバンどこだっけ?
昨日は別のカバン使ってたし……いつ使ったかな?
そういや、何探してるんだっけ?

最近整理整頓が得意になってきた。いや、しないと不安になってきた。資料にしても、参考文献にしても、引き出した後にちょっと片づけを後回しにしてしまうと、すぐどこにやったか忘れてしまうからである。

そういえば若い友人のK君は、足の踏み場もないとんでもない部屋で暮らしている。書類やら何やらが部屋のあちこちに散乱し、堆(うずたか)く積っている。彼は、そんな書類の間にできた細道を通って、自分の椅子にたどりつく。日本の最高学府を出た彼が、なぜそんな部屋で平気でいられるのか。いやそれ以上に、そんな部屋に居ながらあれこれの雑務をどうして滞りなく処理していけるのか、実のところ不思議でならなかった。

そんな彼が、最近になって少し部屋を片付け始めた。別に整頓好きのゼミ生を一杯抱え込むことになったとか、気に入った学生のために部屋を飾るつもりになったとかいう話は聞かない。何故だろう……と人ごとながらいぶかしんでいるうちに、はたと気づいた。同じように整理整頓が得意になってきた、いや必要になってきた我が身に思い当たったのである。

K君ほどではないにしろ、かつての自分もそうであったように、乱雑でも何処に何があるか分かっているから、乱雑にできるのだ……つまりは、それだけ脳に余力があったということだ。どこに何があるか覚えていられる間は、別に片付けなくたって仕事はできる。むしろ重なった書類の、ホンの片隅を見つけるだけで、目的の資料が見つかる。下手に分類し、重ねて、仕舞い込んだら、今度はそれを引き出すのが大変。何より仕舞い込むまでの作業が生半可なものではないのだ。

最近の私は非常に片付いた、整理の行き届いた部屋に暮らしている。その分、いったん仕舞い込んだら埃を被ってしまって大変だが、探し出す手間は随分減った。もちろん、パフォーマンスはK君とは比べ物にならないくらい低いが、自分なりには満足している。それ以上に、年をとるとこんな発見もあるから、楽しい……フン、負け惜しみじゃないぞ!