32.「放哉(ほうさい)かな」

咳をしても一人(注)
洟(はな)をかんでも一人
狭い部屋で一人
自分以外、誰もいない……

怖くて人と一緒に居られない
怖くて何でも同意してしまう
怖くて大勢の人が居る場所は嫌
怖くて……何が? ……分からない

何を考えているのか分からない
どう思われているのか分からない
何がしたいのかもわからない
だから……いつも通りの日々

あの子が羨ましい
この子もうらやましい
その子なんかもっとウラヤマシイ
羨ましすぎて羨ましすぎて……疎ましい

久しぶりに、10代20代の頃の感性を掘り起こしてみる。改めて眺めてみると、苦しくて、せつなくて、自縄自縛(じじょうじばく)で、自業自得で、ナルシストで、みじめっぽい。思い起こして一つ、はっきり分かったことは、一瞬が永遠だったこと、時間が経つなんて考えもしなかったこと、今がいつまでもいつまでも続くと思っていたこと……。

登り切って下りが見え始めた齢になってから、分かってきたことがある……何にでも終わりがあって、永遠なんてないのだということ。同じように見えて、実は常に変化し続けているのだということ。さらにまた、ドラスティックな変化は、やがて穏やかな揺り返しの波に呑まれて、当たり前のさほど変わり映えのしない、変化と言えないような変化へと様変わりするということ……。

こうしたこと全般を通して、圧倒的な迫力でもって、思い知らされた未来へのメッセージ。終わるからこそ、また始まるのだということ。変わろうとしても変わらず、変わらずにいたいと思っても変わってしまうということ。だからこそ、心の底から言える。終わりのない苦しみはない。変われないけど変わる。あるがまま、なすがまま、なるようになると……。

種田山頭火と間違えられるけど、尾崎放哉の自由律俳句。ちなみに私も間違えていたので、敬意を表してタイトルにした。