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古書往来
60.小寺正三の人と仕事 ―― 高橋鏡太郎再見

『小寺正三選集』(岡町図書館蔵)(身辺抄の会、平成八年)は百部限定本で、『身辺抄』出版の折の募金の残りを使い、やはり加藤とみ子さんが編んだものである。前著と同じく、表紙裏表に分けて小寺氏の墨筆の句「一山の夢を包みて風薫る」が銀で箔(はく)押しされている(函の有無は不明)。内容は氏の句集『月の村』『枯色』『熊野田』『淀川』『五月山』から抄録した俳句篇と、小説からは「家」と「玄関の孤独」、随筆は「庭の美学」他四篇から成っている。

「小寺正三選集」表紙
「小寺正三選集」表紙

「あとがき」で、加藤さんは氏の死後、小寺家に伺った際、小説集や他の句集は持っているが、本棚に三部のみ残っていた『月の村』と二部のみの『枯色』は持っておらず、夫人に懇願して『月の村』の方を感激していただいて帰った、と書いている(後に『枯色』も筆写するため、送ってもらった)。
 これを読んで改めて私の手に入れた『月の村』は相当貴重な本だったのだと分り、うれしくなった。

また、本書の句を読んでゆくと、「五月山」の中に、

加藤とみ子さんの新居落成
ひとり居に夜々の時雨を友とせよ

が出てきた。ほう、と思い『身辺抄』の句も見直してみると、

加藤とみ子さん見舞いにきてくれる
見舞ひ客粥と梅干共に食ひ

の句を見出した。やはり師弟としての交友が密だったことが何となく分る。
本書でもう一つ確認できたのは、前述のように、同じ豊中の寺本知氏とは交流があったに違いないと思っていたが、それが句によって証明できたことだ。『五月山』の中に、

詩人・寺本知氏の政界引退
いさぎよき友の姿にもみじ映ゆ

とあった。
このへんで、本書から私なりに心動かされた句を抜き書きしておこう。(もっと沢山あるのだが枚数をとりすぎるので、この程度に止めた。)


万緑を曲り曲りてバス喘ぐ
かのひとの髪匂ひしも霧の中
壺を掌にふいの霰を聴きにけり
誰もみな同じ顔して花火待つ
梅雨をきて康成の巨き眼に会ひぬ
月夜なり竹の子ひとり笑ひ出す
山の墓どの花筒も梅雨の水
浄土までつづく夕焼とぞ思ふ
斜め降る驟雨広重の絵を思ふ
それぞれの声ひそませて賀状来ぬ
雨蛙地蔵の下で泣きをりぬ
会ふことは待つことならむ野菊摘み
すさまじき落穂の声をうしろにも

いずれの句も情景がありありと目の前に浮ぶようだ。なるほど、そうだなあ、と多くの人がしみじみ共感する句が多い。

「玄関の孤独」表紙
「玄関の孤独」表紙

次に、小説集『玄関の孤独』(岡町図書館蔵)(限定300部、全線社、昭和47年)も少し紹介しておこう。文庫判、120頁の可愛らしい本だ。

「少女」織田広喜
「少女」織田広喜

表紙、口絵(カラー)、扉頁、さらに各作品末の空きスペースに大阪の人気画家、織田広喜の少女像や巴里風景などが載っている。おそらく織田氏とも交流があったのだろう。

小寺正三直筆の句
小寺正三直筆の句

口絵の次頁に別紙で和紙が挟まれており、氏の「晩秋の水に色ありふかさあり」の句が墨の直筆で入っている。本書も私は古本屋で一度も見たことがない。稀少本だろう。

収録作品は「家」「独座」「橋のたもと」「どぶ町」「玄関の孤独」の五篇で、跋文を桜井増雄氏が書いている。この桜井氏も未知の人だったが、幸い、私の持っている『へそまがりの弁』の中の「桜井増雄の人と作品」で紹介されていた。それによると、小寺氏は昭和41、2年頃、桜井氏と出会ったが、当時桜井氏は『全線』(東京)という雑誌の編集・発行人であった。氏はおそらくプロレタリア系作家の一人で、前田河廣一郎や細田民樹、藤森成吉らを文学の師と仰いで深く交流し、雑誌でも三人各々の追悼号を出している。(後に古本目録で、『地上の糧――前田河廣一郎伝』を平成3年に出したことが分った。)小説作品に短篇集『処女』や歴史小説『大地の塔』などがあるという。桜井氏は「豪放磊落な反面、神経がこまやかで、よく気のつくところがあった」と記し、見聞したいろんなエピソードを挙げている。
 せっかくの機会ゆえ、桜井氏の解説文を大幅に借りて、小説の内容を少し紹介しておこう。まず「家」は、自伝的な私小説ともいえる作品である。「東京の新聞社につとめていた主人公の私が、父親に呼びよせられて、しぶしぶ帰郷する。大阪で書画骨董店をはじめ(筆者注−実際は豊中で古本屋を営んでいた)、生計をたてつつあった二年目に、突然、六歳の長男に疫痢(えきり)で急逝される。−−それを機会に、父の強い持続的な、反対を押し切って、一千坪の敷地と百四十坪もある広大な旧家を手放す決心をする」−−そのいきさつを淡淡とした抑えた筆致で描いている。最後まで怒って抵抗する頑固な父の姿が印象的だ。小寺氏はその後、池田市室町に亡くなるまで住んでいる。
 最後の「玄関の孤独」は36頁の中篇。これも桜井氏の要約を借りよう(ズボラですみません)。


 「三十歳のときに、尾道から因の島にわたる船で、海難にあって、六十年間、記憶喪失症になっていた浦山が、六十年をすぎて、正常にもどり、生れ故郷に帰ってみれば、知人は一人もいない。生家も代がかわり、しかも血縁のものは滅び去り、血縁でないものがあとをつぎ、さっぱり意が通じないままに、呆然としてしまう。(中略)今様、浦島をとりあつかった作品である」と。生家を探すうちに自己の存在証明がしだいに危うくなってゆく心理をリアルにたどった作品と思う。
これはフィクションだが、浦山が帰る故郷は豊中の熊野田あたりになっていて、途中の国鉄、大阪駅前の60年前の景色が回想され、描写されている。資料的に珍しいと思うので引用しておこう。


 「当時、駅前には売店もなかった。駅の左と右に庭園があって小さい山や池をもうけていた。池には鯉や金魚が泳いでいた。周りの芝生の上で汽車を待つ人々が弁当をひらいていることがあった。東寄りに交番所があって、それから少し離れたところに、駅長や助役の煉瓦造りの官舎があった。また広場の西寄りに時鐘台があって、それが旅客と駅員に時刻を知らせた。春になると庭園の桜と草の花が咲き、秋は萩と桔梗が咲いた。」と、今、古本業界で人気のある、当時の絵ハガキと照らし合せると興味深いことだろう。


「へそまがりの弁」表紙

「独座」も評価の高い作品だが、あまりに長くなるので省略し、手持ちの『へそまがりの弁』からも若干紹介しよう。
 前半の14篇は、日本と欧米の映画を一作ずつ平易に紹介しながら、夫婦間の愛のあり方を説いたエッセイで、大阪読売新聞に連載したもの。これを読むと、かなりの映画通で、啓蒙的文章も巧みな人だったことが分る。

親戚に当る川端康成についても二篇書いており、東京在住時代、「上野桜木町に、はじめて川端先生をたずねたとき、『文士なんて無頼の徒のようなものですよ。のたれ死にする覚悟がないと、小説なんか書かんほうがいいね』と、いっぽんクギをさされた。」と回想している。作品のことになると非常に厳しく、昭和17、18年頃、小山書店の季刊雑誌『八雲』を編集していた川端氏が「『八雲』に小説を書かないか」といって下さったので「霖雨期」という小説を書いて届けたが、間もなくきびしい作品評を書いた手紙とともにその原稿は突っかえされてきたという。もちろん、小寺氏は川端氏を終生、文学の師と仰ぎ、度々師を偲ぶ句を詠んでいる。例えば二首を挙げよう。


遺影の巨き眼に雪雪国遠し
師の作に「山の音」あり夕蜻蛉

ついでながら、氏の句の前書きを見ると、関西の多彩な文学者と交流があったことが伺われる。例えば、ほんの二人だけだが、


藤沢桓夫先生に
文書けば更くる机辺に火の恋し

田辺聖子さんより「花衣」贈らる
「花衣」読みては思ふ花の色


がある。
また、エッセイ「十三の町」でも、十三の町の良さを語り、「この本町商店街の中程にあるカマボコ屋に、詩人の清水正一が働いている」と記しており、私は思わずうれしくなった。清水氏は『犬は詩人を裏切らない』を読んで以来、私の好きな博識の詩人である。(編集工房ノアから二冊の詩集も出ている。)

最後に、『古書さろん』(昭和44年9月、創刊号)に載った「本の運命」というエッセイも面白い。かつて古本屋をしていたから、発行元の古書さろん天地(天王寺)の店主とも交流があって依頼されたのだろう。
 氏は、新刊でも買い逃すと入手に大へん苦労すると書き、まして、「古い本の場合は、めずらしい本、貴重な本が見付かった時は、即座に買っておかないと、後日おなじ本を手に入れることは、なおいっそう困難である」と記す。全く同感である。そして、私たち物を書く人間にとっては「世間にほとんど知られていない本で―― 一見つまらなそうに見えて、その実なかなか貴重な資料などをつめこんだ本が、いちばんありがたい」といい、一例として大阪電球株式会社から発行された宣伝用パンフレット『燈火の変遷』をあげている。

さらに氏が今読んでいる、埴原一丞氏の『翌檜(あすなろう)』で、セドリを商売にしている主人公が「台湾鉱物調査資料」や「鹿の巻筆」という掘出し物を見つける話を紹介している。私もこの小説は以前、読んだことがあり、確かに心躍る内容であった。

「古書さろん」表紙
「古書さろん」表紙

ちなみに私は『古書さろん』の2号(昭和44年8月刊)をたまたま古本展で見つけて持っている。この号には、中谷孝雄、庄司浅水、桜井武次郎、河原義夫が各々書誌関係の評論を載せていて充実した目録である(これはいつまで続いたのだろうか)。

以上、引用、紹介に終始してしまったが、私は小寺氏もまた、大阪に在って全国にその文学的メッセージを発信しつづけた人として、忘れてはならない存在であると思う。『玄関の孤独』などはぜひ探求したいものだ。

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