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59.原稿用紙と鉛筆の話 ─ 作家たちのこだわり |
作家と万年筆のかかわりは多くの人が書いているので省略しよう。その代りに、ここでは鉛筆を使っている作家を何人か紹介してみよう。 文芸評論家の川本三郎氏も「鉛筆派」である。川本氏は鉛筆そのものが好きで、ちびるまで使い「短くなったらキャップをつけてギリギリまで使う」と書いている(『花の水やり』JDC、1993年所収の「鉛筆」)濃さは2B(氏も渡辺氏と同じだ)に決めている。 |
「別れてよかった」カバー |
人気ドラマの脚本家、内館牧子さんは、さらに猛烈な鉛筆派だ。内館さんはワープロも使ってみたが、全然受けつけなかった。「「文字を打つ」と、何だか思考そのものが変わりそうで、どうしても好きになれなかった」と告白する(『別れてよかった』世界文化社、1996年所収「6Bの鉛筆」) |
脚本執筆の折は、まず六百本(!)の鉛筆を全部削り、ひとつの箱に山盛りに入れる。二百字の原稿用紙に一枚書くと、丁度一本の芯先が丸くなる、それをもうひとつの空き箱に放り入れ、次々と新しいのを使う、そうやって朝のNHK連続テレビ小説「ひらり」の原稿、八千枚を仕上げたのだという。鉛筆たちにとっては、よくぞ使ってくれたと思うだろう机上の壮観な眺めです。 高田宏氏も鉛筆派で、自分が手書きで書きながらでないとものを考えられないタイプだから、ワープロには不向きだ、と述べている。(『ことばの処方箋』角川文庫、平成10年)そして最後に「芯を削るときの気分転換もわるくない」と語る。 |
さて、そうやって各々苦労して書き上げた原稿をどう一まとめにするのか。最近亡くなった吉村昭氏に「綴じる」という短いエッセイがある(『月夜の記憶』講談社文庫、1990年)。吉村氏は三、四人の作家の集りの席で、ある作家が、仕上った原稿をどのように綴じているかを他の人に問うたとき、別の作家が「綴じてなんかいない」と驚いたように答えたので、必ずいつも綴じている(おそらく、糸かコヨリでだろう)氏には意外だったと記している。氏はつまり、作家各々の孤絶した作業ぶりを言っているのだが、最後に「万年筆のペン先を逆に背で書く人がいるという話もきくし、帽子をかぶらねば小説を書けぬという人がいるともいう」と書き、作家個々人の奇妙な執筆癖を改めて内省している。 綴じるといえば、詩人の長田弘氏も『感受性の領分』(岩波書店、1993年)所収の一文「机」で、次のように述べていた。 私は若き日、企画して『面接入門』(創元社)を書いていただいた日大精神科のコミュニケーション論の第一人者、木戸幸聖先生の原稿を想い出す。先生の手書き原稿はかっちりした端正な字で書かれ、訂正したところは丁寧に白いマーカーですべて消されてあったので、とても読みやすい、見事なものであった。それが各章ごとにコヨリで綴じられていた。先生の性格まで伺われるような原稿であった。先生には、私がフリーになってからもお願いして、『人間関係の技法』を岩波書店から出していただいた。その先生も今は亡い。 私はといえば、この連載を書くのに、ふつうのコクヨの400字詰原稿用紙に、まず水性ボールペンでなぐり書きで下書きし、それを同じく下手な字でいろいろ表現を訂正しながら清書するという、全く何の芸もこだわりもないやり方である。これでは、いい原稿は書けそうもない。 |
(付記) |
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