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59.原稿用紙と鉛筆の話 ─ 作家たちのこだわり |
さて、前述の安岡氏の嘆きと一寸共通するエッセイに、吉行淳之介の「原稿用紙」がある(『石膏色と赤』講談社、昭和51年) |
「石膏色と赤」表紙 |
実はこれから取り上げるエッセイはすべて、私が以前、思いついて「私の机」というテーマで日本の古今の文学者や学者が書いたエッセイを古本で集中的に蒐めた折、<机>の周辺の文房具や原稿用紙について書かれたものも含めていたので、そこからピックアップしたものなのだ。(私はそのようなテーマのアンソロジーを造れば面白いと思うのだが、出版社はどうも興味を示してくれず、お蔵入りのままである) 吉行氏はこう書き出している。 |
ここで大分以前、目録注文で入手し、殆ど積ん読のままだった松尾靖秋(国文学者)の『原稿用紙の知識と使い方』(南雲堂、1981年)を引っぱり出して参照してみると、作家がよく使っている原稿用紙の店として、満寿屋、山田屋、相馬屋(=新宿、品川にある由)があげられており、山田屋の原稿用紙の愛用者には尾崎一雄や武田麟太郎がいたという。 |
「原稿用紙の知識と使い方」カバー |
ついでながら、松尾氏は満寿屋の主人、川口ヒロさんの随筆、「原稿用紙の話」(『婦人公論』昭和48年4月号)を本書で大幅に参照している。それによれば、極めて多くの作家が満寿屋のものを使っており、例えば前述の安岡氏、川端康成、井上靖、水上勉、吉田健一、小林秀雄、佐野洋など枚挙にいとまがない程だ。(実際は34名の作家があげられている。後述する吉村昭氏もその一人。)ヒロさんは元々文学少女で、女学生の頃、早稲田大学近くの喫茶店「さんざし」によく出入りし、丹羽文雄と知り合った。昭和15年頃から紙の統制で若い作家たちが原稿用紙に不自由するようになったが、実家の紙屋でつくっていた砂糖箱や包装紙の紙の在庫がかなりあったので、丹羽氏や青山二郎の依頼もあって原稿用紙を作るようになった。それが若い作家たちに次から次へと広まっていったという。 罫線といえば、当代の人気作家、渡辺淳一氏も『創作の現場から』(集英社文庫、1997年)に「書斎の周辺」を書いており、そこに原稿用紙のことが出てくる。用紙はまず四百字詰めが条件で、白地にシルバー・グレイのうすい罫線で、個人用につくったものを使っている(罫線が赤とか濃いものは目が疲れて馴染めないという。) |
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