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47.神戸の詩人同士の友情を読む ─ 林喜芳と板倉栄三の詩集 ─ |
さて、今回、もう一冊、ぜひ取り上げたい本がある。それは林氏と生涯の友であった板倉栄三氏の前述した詩集『歯抜けのそうめん』(昭51年、「少年」発行所、限定150部)である。 |
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昨年の夏だったか、ある関東の古本屋さんから届いた目録を何げなく見てゆくと、詩集の項で、板倉栄三の名がふと目に止ったのだ。近頃、とみに記憶力が衰えてきた私だが、さすがにこの名前は脳にインプットされていたらしい。「これは!」と思い、すぐにFaxで注文した。幸い、他に注文する人もいなかったと見え、すぐ本書が送られてきた。見ると、並製の文庫判、40頁で、表紙も文字だけの素朴な装幀の本だが、ただ背はメタル様(?)の紐で綴じられているのがいかにも詩集らしい。 |
「歯抜けのそうめん」表紙 |
とてもうれしかったが、包まれたパラフィン紙を取り去ると、表紙裏表にかなりの水ヌレ跡があった。無名の詩人のこんな小冊子で、目録に欠点の表記もないのに、けっこうな値段が付いていた。「どうもなあ」とは思ったが、むろんこれは私にとって逸することのできない貴重な詩集だから、そのまま頂だいすることにした。(原稿のネタにもなりそうだし……) |
詩稿の写真頁 |
中を見ると、捨てトビラに板倉氏が病いの床で書いた詩稿の写真が載っており、その下に竹森・林氏連名の「十年ノ余モ/臥テハイルガ/ソノ左手ハ/生キテイル//イタクラヨ/ガンバッテクレテ/アリガトウ」という文字が掲げられている(最後が泣かせます)。まこと、三人の友情の結晶のような詩集なのである。林氏も前述の「わが心の自叙伝」の中で、この詩集について「動かぬ左手で殴り書きした詩篇を集めたものである。思えば見るも痛ましい。知る人ぞ知るで好評。彼も涙を浮かべて喜んだ。友人としてただ一つの交誼(こうぎ)。」と記している。 |
林氏によれば、彼は若い頃、一時上京して神田の土建屋の飯場に住みこんでいたが、その前に竹森も上京して『魔貌』を出したのに刺激を受け、「いまに詩集“首のある樹木”をだすぞ」と言って、稼ぎの中から少しずつ竹森に五十銭、一円と預けていたのだが、二人の間に一寸したいざこざがあって、結局その出版は流れてしまったという。だから、生涯に遺した詩集はこれ一冊切りなのだ。 |
序には「はじめに板倉のこと」という竹森の一文があり、板倉とのつきあいを振り返っている。 |
竹森の一文では、板倉は「我武者羅無手勝流」で「ぼくや林を辟易させるものだったが、それなりに易々とはケツを割らなかった。」飯場に働きながら詩を書き、「日銭がはいると、飯やコーヒーより先に酒を飲み、黒々とした長髪をふりみだしながら、「メシの詩」を書きつづけた。」とある。神戸に帰ってからは高架下あたりで易者をしていた。(林氏によれば彼は「十銭あれば手相をみてもらい、それぞれの判断から己れの手を教科書に易の中身を察し易者になった。」という。)板倉のは「体当り破れかぶれの人生」だったとも。どうやら林氏とは対照的な性格であり、生き方だったようだ。最後はこの詩集によって「彼はぼくらに生命の秘密を解きあかすことになるだろう。」と結んでいる。 |
一方の林氏も「おわりに栄三のこと」を寄せ、冒頭に板倉の「はり倒すことは人生である。/芸術とはメシを一杯よけいに食うことだ。」という、五十年前、最初に出会った折に発せられ、あっけにとられた言葉を引いている。「自叙伝」で林氏は、初対面の彼の印象を「痩身白面の士である。その引き締まった顔に好感がもてた。」とも書いている。続いて林氏は板倉の生きざまを「身体ごとぶちかましてゆく姿」とし「相撲の取り口に似ている。」とも書いている。そして彼の長い易者生活は素人易者でなく「昼間は戸別訪問であり、夜は飲み屋に飛び込んで酔客を相手にする」プロのものだった。「その善戦また善戦が十年前、彼を倒した」のだ。倒れてからは工場勤めの息子との二人暮しだったが「十年の余も臥ているのでは部屋うちがジメジメすると思われるが、彼は彼の詩のように至極健康だ。窓から射す陽をうけて臥ている彼の顔は光を放つ、まったく稀有なことだと深く思う。」と締め括っている。これには感動させられる。 |
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