← トップページへ | ||
← 第45回 | 「古書往来」目次へ | 第47回 → |
46.澁川驍展の図録と文明社の本と |
話が又も逸れたが、私がそこで見つけた一冊が、美術展図録の並びにあった『澁川驍と昭和の時代』(平7、東京都近代文学館)という薄い図録である。言うまでもなく、澁川驍(本名・山崎武雄)も『日歴』の中心的な同人であった作家であり、新田潤ともつながりのある人なので、これは有難い、参考にもなる、と喜んだ。それに「日歴」の総目次が八頁にわたって付けられているのも貴重な資料だ。 |
|
「澁川驍と昭和の時代」表紙 |
表紙は金田新治郎という画家による油絵の澁川の肖像画が全面に使われていて、いかにも渋い作家らしい表情がリアルに伝わってくる。トビラには、新田潤による、澁川の顔の墨筆のスケッチが添えられている! この編集は当時の館長の紅野敏郎氏や進藤純孝氏、保昌正夫氏によるものだけあって、とても充実している。 |
コラムも多く、福田清人、高間秋子(高見順の奥様)、水上勉、徳廣睦子(上林の妹さん)など12人の文章、それに山崎柄根氏(息子さん)の「父・澁川驍」も載っている。 |
ただ、この図録のカラー頁の最後にある、著者による『柴笛』の附記の再録は、本書が出版に至るまでのエピソードとして大へん興味深いので、要約して紹介させていただこう。 |
さて、私がこの図録でもう一つ注目したのは、カラーで書影が載っていた戦後版の『龍源寺』で、これが文明社刊、昭和21年5月(装丁 花森安治)とあったからである。この本は私も以前、どこかの古本屋で見たことがある。前回紹介した新田潤の『煙管』も文明社刊、花森の装丁であった。私はにわかにこの文明社のことをもっと知りたくなった。 |
「龍源寺」表紙 |
まず、千里中央図書館で『大事典』を見ると、田宮虎彦の項は澁川が担当しており、そこで、戦後すぐに「桜井馨の援助を受け、文明社を興す」とあった。また、手元におあつらえ向きに筑摩現代文学大系64の『田宮虎彦・梅崎春生集』があったので、巻末の田宮の年譜を見てみると、昭和20年、35歳の項に「敗戦直後、雑誌『文明』の編集に当り、荒木巍、井上友一郎、新田潤、澁川驍の助力を受けた。」とある。これらの人は殆んど『日歴』の同人仲間である(井上のみ『人民文庫』の執筆グループの一人)。そして、昭和23年3月、『文明』を廃刊し、作家生活に入る、とあった。おそらく、文明社も同じ頃、閉社したものと思われる。 |
|
<< 前へ 次へ >> |
← 第45回 | 「古書往来」目次へ | 第47回 → |
← トップページへ | ↑ ページ上へ |