← トップページへ | ||
← 第38回 | 「古書往来」目次へ | 第40回 → |
39.国文学者の小説・随筆を私家版で読む |
さて、次に紹介するのは神戸サンチカの古本展で昨年見つけた、表紙は文字だけの180頁の『増補白水雑記 いたどり』白方勝著(1990年3版、私家版)である。白水は雅号であろう。300円。これは1976年が初版で、1982年にも一度増補している。好評のためだろうが、私家版では珍しい。全く知らない著者だが、念のためと中をのぞいてみると、目次の中に「作家の不幸」「子規の一面」「ふるほん」「読書の時期」などの面白そうなタイトルを見出したので、買う気になったのである。 |
|
田宮貴代子「いたどり」(口絵より) |
本書はあとがきによれば、「愛媛新聞」に頼まれ半年間、一般向きに連載した随想26篇その他を一冊にまとめたもの。その際、原稿は妻に見せて検閲を受け、パスしたものを送った、とあるのがほほ笑ましい。 |
内容は、さすがに日本の古典を材料にした国文学者らしい達意のエッセイが多いが、それだけでなく、近代文学の作家、鴎外や藤村、川端、太宰、芥川などの作品も所々引きつつ話題に盛り込んで書いていて、視野の広さが伺われる。「作家の不幸」では、その作品が高く評価されている「啄木にとって伝記のすみずみまで詮索されない方が幸福であった」とし、一方、子規は啄木と対照的で、よく知られた闘病生活などを通してあまりに人間的魅力がありすぎるため、作品の方がそのままに読まれず、啄木ほど作品が広く読まれていない、と嘆いている。私はなるほどな、と教えられた。そういえば、藤村や荷風も啄木と一寸似たところがあるのではないか。 日本古典にさほど興味のない私がやはり一番面白かったのが「ふるほん」である。 その頃の学校図書館は蔵書も少なく、新刊も少なかったので、古本屋通いが始まる。高校時代は太宰治やチェーホフに夢中になった。その頃の松山には松菊堂、州之内徹がやっていた小さな古本屋!、松山堂、クリスチャンの若い婦人のいる店、明屋古書部などがあり、中でも松山堂のおやじさんには長くお世話になった、と記している。場所の記述もあるので、当時の松山の古本屋地図の貴重な記録であろう。 |
また「便所論語」では、知人のK先生から岩波文庫の『論語』を毎朝、便所で愛読したと聞き、早速氏も実行に移し、いろんな中国詩人の詩集や『史記』、日本の説話文学などを毎日10頁程、あの折に読むことにしていると告白する。私もたまに新聞をトイレに持ちこむことはあるが、本をそこで読むことはないなあ。さすがに学者の方である。 この先生など、東京の出版ジャーナリズムが巧くその才能を引き出して書いてもらえば、もっとメジャーなエッセイストにもなる可能性を秘めている人だと思う。地方にずっといるので損をしている。例えば、書誌学のリンボー先生こと、林望氏は無名の頃まず、イギリス物が大ヒットし、その後も活躍を続け、今は小説まで書いている。(引合いに出すには一寸大物すぎるか。)氏はあとがきで、若輩なのに、専門書より先に随想集を出して、と恐縮しているが、一般読者にとってはむしろ歓迎すべき出版である。 |
<< 前へ 次へ >> |
← 第38回 | 「古書往来」目次へ | 第40回 → |
← トップページへ | ↑ ページ上へ |