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古書往来
36.神戸の農民詩人、坂本遼 ─ その生涯と作品

農民詩人といえば、草野心平は『詩と詩人』収録の「坂本遼の『たんぽぽ』」で、宮沢賢治も『銅鑼』同人だったが、賢治が生前、心平にあてた手紙の中に「坂本さんとか三野さんとかの傑れた農民詩人が出てきたので、わたくしなどはもう引っこんでもいいと思っています」という意味のことを書いてきたと回想している。賢治は『銅鑼』に載った坂本の作品と『たんぽぽ』も読んでいたに違いないというのだ。心平をキーパースンとする同時代の賢治・坂本のつながりの不思議さを感じてしまう。
賢治は世界性をもつ詩人だが、草野は坂本についても早くも『たんぽぽ』の序で「・・・世界に普遍する人間性の中心/『たんぽぽ』はその縮図である」とか「坂本の詩が翻訳されてフランスやロシアの風呂敷のやうな頭巾を冠ったおかみさんや婆さんや靴屋の青年などに愛読されるであらうと思ふのはぼんぼり色の夢であらうか」などと書き、いわばスケールの大きい比較文学的見地から絶讃している。
心平自身も、坂本に出会ったのは当時、中華民国嶺南大学に学び、同大学の日本語講座講師になり、大正14年、大学内に銅鑼社を置いてガリ版で『銅鑼』を発行していたが、排外運動が起り日本に帰国してきて3号を出してまもない頃であった(足立の『評伝竹中郁』による)。いかにも、大陸を放浪して国際的センスを身に着けてきた心平らしい評言ではないか。
しかし、これは誇張などではなく、前述の杉山平一氏の文中にも次のような評言がある。「詩集『たんぽぽ』その愛は、おそらく日本詩史上の古典として不滅のものとして残るであろう」「どんな荒蕉の地でも、掘って掘りつづけると、その底に涌いてくる水があるように、掘りつづけた最後に泌んでくるものを、『たんぽぽ』は持っていた。それはいかなる土地、いかなる環境、いかなる時代にも、共通する底の底のものであった。」と。このような世界にも誇るべき詩人をおそまきながらも知ったことは幸いである。


最後にわずかに一篇だけ、私の好きな作品の一部を紹介しておこう。坂本が21歳の折、最初に『日本詩人』に投稿して入選した「お鶴と死と俺」である。

(前二連略)
お鶴はお母んとおらの心の中には
生きとるけんど
夜(よさり)おそうまでおかんの肩をひねる
ちっちゃい手は消えてしもうた
おら六十のおかんを養ふため
働きにいく

お鶴がながい間飼ふた牛は
おらの旅費に売ってしもうた
おかんとおらは牽かれていく牛見て
涙出た

仏になっとるお鶴よ
許してくれよ
おら神戸へいて働くど
(了)

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