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古書往来
36.神戸の農民詩人、坂本遼 ─ その生涯と作品

「坂本遼作品集」表紙
「坂本遼作品集」表紙

昨年のOAPビルの古本展で1冊、見つけてうれしかったのが『坂本遼作品集』(1981年、駒込書房)である。坂本遼は竹中郁と並んで神戸を代表する全国区の詩人なのだが、私は一年位前までなぜか彼の作品を読んだことがなかった。ただ、石神井書林の目録などで、その第一詩集『たんぽぽ』が高価で出ていたりして、その評価が高いことはうすうす知ってはいた。

ある日、古本で手に入れた『兵庫の詩人たち』(君本昌久・安水稔和 編、1985年、神戸新聞出版センター)─ 明治から現代に至る兵庫出身の詩人たちのアンソロジー ─ を何げなく拾い読みしていて、わずか八篇の坂本の詩に出会い、一ぺんに引きつけられてしまったのである。

それらは全篇、素朴な但馬方言を駆使して、田舎で働くおかん(母)や飼い牛、春景色などを唱ったものだが、素直な心情にあふれ、哀切で泣かされるものがあった。(ちなみに、詩を読んで泣かされる程の体験はごく少ない。私の乏しい体験では、妹の臨終を唱いあげた宮沢賢治の「永訣の朝」や現代詩では以倉紘平の詩集『地球の水辺』(1992年、湯川書房)にあった、以倉氏が入院中、隣りのベッドにいたけなげな中学生の死を描いた詩「少年の最後の言葉」位しか思い出せない。)

「兵庫の詩人たち」表紙
「兵庫の詩人たち」表紙

その直後に、中之島図書館へ走って坂本の別の作品集を借り出し、小説集『百姓の話』も読んだが、詩のインパクトに比べると、さほど感銘は受けず、少し熱が冷めたままになっていた。これは後に足立巻一の『評伝竹中郁』(理論社、1986年)で書かれている竹中の友人、坂本についての節で、竹中も『百姓の話』を読んで「だるい!」という感想をもらし、復刻に反対した、とあり、私の受けとめ方もそう的はずれでなかったのだと安心した。

古本展で入手した本は坂本の児童文学以外の詩・小説・エッセイ(未刊詩篇を含む)を網羅したもの。作品の解題・校異や年譜も付けられた丁寧な本造りの作品集で、出版社が坂本にほれこんで、読者の再評価を促そうという熱意が隅々まで感じられる出版である。

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