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古書往来
11.雑誌『人物評論』を見つける!

『噂の真相』が3月10日号をもって終刊したという。私はあまりよい読者ではなかったが、それでも作家や出版社の噂が載っている記事など、時々立ち読みしたものだ。

ところで、この雑誌のはるかな先駆けとも言える雑誌が、昭8年3月、大宅壮一編輯で創刊されているのは御存知だろうか。過日、梅田のリーチで古い雑誌の創刊号ばかり積んである中から見つけたのがその『人物評論』である。実物を見たのは初めてであった。早速読んでみると、予想以上に充実していて興味を引く記事が満載されている。今回はこの内容を一寸紹介してみよう。

まず巻頭には「看板に偽りあり」の大見出しで、郷登之助という筆者の「藤村・有三・(十一谷)義三郎等の仮面を剥ぐ」を掲げている。

藤村については、いわゆる「新生事件」での身の処し方などを俎上にのせ、大胆に批判したものだ。相当、文学にも見識の有る筆者のようだ。三人とも「蟹形作家」で、外見はいかにも硬そうに見えるが、中味は軟かくてヅブヅブだ、といった卓抜な表現も見える。私は大宅が変名で書いたのかもしれないと思うが、確証はない。

「人物評論」表紙
「人物評論」表紙

次に注目した記事は、林芙美子の「長谷川時雨論」である。かつて無名時代に時雨主催の「女人芸術」に最初に「放浪記」を連載してもらった芙美子は「女史に対する、色々なキヨ・ホウヘンも耳にするが、落ち着いて長谷川女史の仕事を考へる時、女の誰もが真似の出来ない、大きな力を感じる」と書き、時雨の未完の『日本橋』を高く評価して早く陽の目を見るように願っている。(これはしばらく後に『旧聞・日本橋』として岡倉書房から刊行された。)気持ちのよい文章である。

又、当時、人物評論を多く手がけた杉山平助が、大宅から四、五日で書けと頼まれたと断りつつ、雑誌の今後の執筆指針ともなるような「人物評論学」をものしている。その中で、人物評論に必要な態度として、殆んど“崇拝者”となるのが女性的態度、長所も認めるが短所も見落とさないのが男性的態度としている。これは今の女性読者からは反論も出そうだ。

しかし「自分の腹の中さへハッキリ分かっていない人間に、他人の腹がわかる道理がない。」「一度や二度会ったぐらいの人には、そう急いで判断をこしらへない方がいい」といった忠告には共感させられる。最後に、杉山氏は自分の人物評論で自信のある実例はひとつもない、と正直に結んでいる。

さらに、中河与一の「芸術派新人論」の、有望作家を簡潔、的確な表現でズバリと紹介してゆく手腕にも感心させられる。

一例のみ引用すれば、「”伊藤整” 中背。北方の人。聡明。永松定の手相判断によると、特殊な線があるそうで、彼の不屈な一面と一緒に奔放な一面を示している。黙っている。声が美しい。頭髪がちぢれている。(中略)彼の文学は前人未踏のものを眼ざしている点で、成功と不成功とを問わず常に高度である。(後略)」こんな調子で福田清人、上林暁、山下三郎、丸岡明などを取り上げていて実に面白い。

この他、上欄三分の二に亀井勝一郎の「プロ派新人論」や大木淳夫の「女流詩壇新人論」を載せた下欄に、かなり俗っぽいが読者の好奇心を強烈にそそる「関西女人風景」や「ダンサーの見た紳士達−関西の巻−」が女性筆者の手で、実名を次々あげて寸描されており、思わず引き込まれる。後者など、最近、銀座の名物ママや祇園の芸妓が男性客の生態を描いて処世術を指南した本がベストセラーになったのを連想した。

他にも、顔から見たユニークな佐藤春夫論、竜胆寺雄の「佐藤春夫の鼻」など、紹介したい記事が沢山あるがすでに紙数がない。ともかく、これは「噂の真相」よりずっと文学的格調の高い内容であり、大宅のジャーナリストとしての企画力はさすがだと改めて感心した。

※ 文学事典によると、「人物評論」は昭9年3月号まで一年間、十二冊が出た。文学作品は少ないが、芥川賞受賞作、尾崎一雄の「暢気眼鏡」はここに載った。不二出版より復刻版が刊行されている。

「女人芸術」表紙 「人物評論」記事。“看板に偽りあり”の頁
「女人芸術」表紙 「人物評論」記事。“看板に偽りあり”の頁

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