早速見てみると、二段で390頁(原稿用紙にして780枚)の大冊で、小島氏の遺作単行本であった。(氏は1987年、67歳で死去)これは氏が大阪文学学校の機関誌『樹林』に五年にわたって連載したもので、関西の散文中心の同人誌、約180誌を毎回、その誌歴や同人のプロフィール、主な作品の紹介などをていねいに整理して解説した労作である。私はまず、こんなにも沢山の同人誌が関西だけでも出ているのか、と驚いた。未だに全部は読み切れていないのだが、とりあえず私もその一部は古本で入手したことのあるもの(例えば『文学雑誌』や『輪』)や『バイキング』を筆頭に著名な雑誌のところを拾い読みしていった。そのうち、ふと、地元の書店や図書館で表紙だけは見かけたことのある『豊中文学』の項が目に止り、読んでみた。すると、その中で小島氏が次のように寺本氏の紹介をしていた。
「……略……56年に詩集『焦心疾走』を出す。いまは豊中市内で喫茶店(筆者註・年譜によれば「ドラン」)を経営するが、かつては古書店を営み、同時に、かねてから部落解放運動の実践者として信望の厚い人物で現豊中市会議員でもある……(中略)……とくに4号に書かれた「閑古堂日録」を私は大変面白く読んだ。古本屋店主のときの話を、なかば戯画風に書いたもので、店に出入りする客や仲間の人物像、主人公の生活心理もよく書けていて、その後の小説ばなれがちと勿体ないような気がするほどである。」と。
私はこれを読むまで全く寺本氏のことを知らず、氏が豊中市(?)で古本屋をやっていたことも初耳だった。古本屋店主のエッセイは近頃多いが、店主が古本屋を舞台に書いた小説は、出久根氏や青木正美氏のもの(同人誌に発表されたと記憶する)以外、あまり読んだことがない。しかも、小説の読み巧者と言われた小島氏が高く評価しているのだ。
私は、これはぜひとも読みたい! とすぐに思った。そこで新築された千里中央の図書館に早速かけつけ(珍しく素早い動きであります)、在庫を尋ねると、さすがに地元、『豊中文学』4号はないが、すぐ近くの野畑図書館に全号バックナンバーがそろっているとの答え。私は喜んで申込み、数日後無事に借りることができた。すぐその部分をコンビニでコピーして、ゆっくり読むことにした。
『豊中文学』4号(昭和35年7月)の奥付を見ると、編集発行人は水戸隆で発行所は「豊中文学の会」だが、会の連絡場所は「豊中市岡町商店街 文苑堂(寺本知)」となっている。(後に寺本氏が長く編集発行人を勤めた。)「そうか、文苑堂は岡町にあったのか!」私は今もたまに思い出したように岡町にある青山書店をのぞきに商店街を通ってゆくが、その途中に文苑堂もあったとは。
なお、この小説では氏は「石塚嘉門」というペンネームを使っていて、二段組みで23頁の中篇である。
それから数日間の車中での読書は至福の時間であった。期待にたがわぬ魅力的な作品で、最後まで引きこまれて読みおえた。小説の要約としては前述の小島氏の紹介で充分なのだが、もう少し物語の筋を追いながら細部も紹介しておこう。たぶん、今後も私以外、紹介する人はいないだろうと思われるから。 |