(追記)
この原稿を書き進めているうちに、どうしても私の手がけた『言語文化の……』がほしくなり、またもや書友、津田氏にインターネットで検索をお願いした。すると、創元社版はヒットせず、学術文庫の方のみ出てきたとのこと。仕方ないが、私はそちらも今は手元にないので注文をお願いした。津田氏は同時に氏所蔵の『読書狂言綺語抄』(昭62、沖積舎)も気前よく贈呈して下さった。いつもながら感謝に絶えない。これには、90頁にわたる「ロビンフッドを尋ねて」などがあり、読むのが楽しみだ。
学術文庫の奥付を見ると、昭和61年5月の刊行となっている。由良氏の短い文庫版あとがきによれば、「いろは紅毛巡礼」の一文のみ増補したと記されている。他によく見ると、献辞がより詳しく「母〔由良清子、旧姓吉田〕の想い出に捧げる」となっていた。興味深いのは、寿岳文章氏が7頁にわたる解説を書いていることだ。それによると、寿岳氏と由良氏との由縁は、寿岳氏が戦前より『日本におけるエマスン書誌』の原稿を作成中に、古本屋からの情報からか、書信で慶応大在学中の由良氏からエマスン書誌の新たな情報の提供を受け、文通を重ねて以来の由。戦後、寿岳氏が大学をやめてからも、京都の龍谷大学で行われた日本英文学会大会に、由良氏が氏を基調講演者に招いたという。それに続く次の文章に私は釘付けになった。「これが契機の一つとなり、一出版社の企画で、ひろく文学や芸術を主題とする対談を同君とおこない、近く上梓を見ようとしているが、」とあったからだ。
私が前述した由良氏の研究室で見た録音テープとはこれのことだったのだろうか。そうとすれば、出版された可能性もある!(御存知の読者がおられたら、教えてほしい。)
それから、私は増補された「いろは紅毛巡礼」を一気に読んだ。
これは由良氏がボストン美術館へ出張の折、丁度、日本の人間国宝展に出品されていた芹沢_介の「いろは歌、型染め屏風」が気に入って何度も眺めていて、あるアメリカのお婆さんに話しかけられ、一寸説明すると興味をもたれ、それからラウンジで同様な鋭い好奇心をもつ(中には鈴木大拙の英訳本を読んだ人もいた)お爺さんお婆さんを前にして、日本語のアルファベット「いろは唄」について即席に、分りやすく順々とレクチャーしていく様子を楽しく描いたものだ。それが「色は匂へど 散りぬるを……(中略)……浅き夢見じ 酔ひもせず」という五・七の韻をふむ、しかも美的、思想的にも深い意味をもつ ─ 大乗仏教の思想を背後にもつ ─ 日本独自の言語遊戯であることを説くと、どっと驚きの歓声があがる……。
この体験談を読めば、全くのフィクションとはとても思われない。四方田氏は文中で、由良氏の英語力(会話力?)に若干の疑問をさしはさんでいるが、アメリカ人を前にこんな複雑な説明を展開できるのは、並大抵の語学力ではない。この新篇を読めただけでも、今回の大収穫であった。 |