← トップページへ
← 第37回 「古書往来」目次へ 第39回 →

古書往来
38.モダニズムの画家、六條篤と、詩人、井上多喜三郎

『若い雲』表紙(安土町立図書館蔵)
『若い雲』表紙
(安土町立図書館蔵)

(追記)
前述の『月曜』に載っている六條の随筆や作品がぜひ読みたくなり、私は多喜さんのご子息がその所蔵本を地元、滋賀の安土町立図書館にすべて寄贈したと伺い、問合せたところ、貴重本なのでコピーはできないとのこと。それで、私は意を決して三月初め、JRではるばる安土まで出かけた。
図書館は広々と展望の開けた田園地帯の一角にあり、とても現代的で明るい、ゆったりした空間である。そこで、総アート紙のしゃれた『月曜』や『春聯』のバックナンバー、多喜さんの詩集『若い雲』(昭15)『水色の風景』などを出してもらい、ゆっくり拝見することができた。

中でも、六條の珍しい句集『淡水魚』や多喜さんの大判の豪華限定版詩集(30部)『花粉』(昭16、青園荘)が見れたのは感激であった。雑誌も本もすべてが新刊のような美本ばかりで、よほど大切に保存されていたことが伺われる。

私はまっ先に六條の随筆「余白」を探して読んだ。
そこには六條と多喜さんの交友の歴史が描かれているわけではなかったが、戦時中(応召前)の多喜さんのエピソードがユーモラスな筆で書かれていた。二人の在所は近かったのか、六條も参加した、未教育補充兵訓練(三日間)の分会長として、多喜さんは訓示台に立ち、「酒席に於ける得意の冬の虫の鳴声」を始めはしないかと心配するが、彼はとうとうと演説をぶち、終りに参加兵の丸刈の頭からは水瓜を連想すると言い、あとで水瓜をめしあがってもらう、などと話す。翌日の行軍の訓練も彼の指導で好成績を収め、参加者はその感謝の印に、一頭の馬を進呈することになり、「平素一番親しい僕がその馬を選定する事に一任」され、「さて詩人多喜さんにはどんな馬が御気に召すかと僕はマリィ・ロオランサンの画集を繰っている次第である」と記すが、このへんから事実なのかどうか怪しくなってくる。そして「其内誰か岩佐東一郎氏でも安土の駅へ着けば多喜さんは馬に乗って、いや馬をいたわるの余り自分は歩いて、馬には美しい詩集でも積んで出迎える事になるであらう。」と結んでいる。

多喜さんは第一次『月曜』のあるあとがきで、天野隆一の詩集『紫外線』の感想を述べ、天野氏が突然来訪し、おしゃべりしたが、彼の話題は難しすぎて・・・などと記している。また、以前連載で書いた藤村誠一(青一)が、菊地美和子の詩集『たそがれ地方』の書評とその著者について書いたのを見つけたのも発見であった。最後に、私が気に入って抜き書きした六條の作品から少しだけ紹介しておきたい。
まず、長い詩を一篇。

「 冬 夜
冬夜 一匹の蝶が私の中に迷い込んだ
どんな星を索ねて行ったのか

風が 白い器を噛む
硝子窓の皸破に私は激しいものの眼を見る
若い焔 私の奥になほ燃えてゐる

南へ 南へ
青空の下 一匹の蝶のやうにはるかな白帆が浮かんで居た
── それから時計は ねむりつつ歩み
さめつつ歩み
或日 私は卜者の前に掌を開いた
「あなたの掌の條にそうて一匹の蝶が来る」
私も また 南へ急いだ

冬夜 一匹の蝶が迷い込んだ
老いたる羽愽かぬ蝶が
ひそかに 私は私にわたしよと呼んで見た」

壮大な内的宇宙を想わせるファンタジーではないか。
次に俳句を。魚を唱った繊細で魅力的な句が多い。

白き魚ピアノのキイを溯る
カンバスに楽譜とびかふ白夜かな
(以上二句の前書きに「画友、妻はピアニスト」とあり、芸術家夫婦だったことが分かる)
朝月のかげにめざめし小魚かな
水底の魚のめざめや昼の月
水底の稚魚もふかれる秋の風
魚いくつ砂に影ある秋の川
女狐も浴衣がけなり夏祭り
球根の肌ふれあうて眠りけり
電車線路曲りゆく野の花月夜

こうして見てくると、六條がもし長生きしていたら、多喜さんにも劣らぬような、人々に愛される作品(むろん画集も)をもっと残したかもしれない、と思われる。

私はその後図書館前で、近くの能登川町に住む、元淡交社の編集者で、古本好きでもある山城孝之氏と落ちあい、氏の車でのどかな近在の外村繁記念文学館などを案内していただき、楽しい小旅行の一日となった。

<< 前へ

← 第37回 「古書往来」目次へ 第39回 →

← トップページへ ↑ ページ上へ
Copyright (C) 2005 Sogensha.inc All rights reserved.