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37.大阪朝日会館長、十河巌の本と、前田藤四郎展と |
まず、山本安英主演の超ロングラン「夕鶴」は、朝日会館で初演の幕をあけたと記している。そして安英さんの芸熱心を讃え、「鶴の化身の「つう」が自分の体の羽毛を抜いて、千羽鶴を織っていくように、安英さんが公演する一回ごとに魂をうちこんでだんだん痩せ細っていくように思われてならない。」と心配している。 十河氏が会館の経営を引き受けてまもない昭和21年秋、80名位の従業員が組合をつくり、ストライキでもやりかねない雲行きになった。そこで氏は、とっさに一計を案じ、「今夜玄関のパーラーで、懇親ダンスパーティを催すから、全員参加されたし」と書いたポスターを貼り出したところ、殆んど全員が参加した。 民芸の渋い俳優、加藤嘉(松本清張原作、映画「砂の器」の、主人公と放浪する祖父役が思い出される)にも、こんなエピソードがある。 |
小磯良平とは、氏が記者時代、太平洋戦争の初期、昭和17年にジャワに文化宣伝中隊の一員として行った折、続いて小磯も絵を描きにやって来て出会った。戦後、会館で「ラプソディ・イン・ブルー」と新世界交響曲をバレエ化することになり、「新世界」の方の背景を小磯氏にお願いし、すばらしいものに仕上がったという話だ。 国際的にも評価の高い「具体」グループの中心画家、吉原治良も、昭和3年、朝日会館二階で個展を開いている。吉原氏は当時、二度目のパリ帰りの芦屋在の上山二郎(※1)から大きな影響を受け、60点程の魚の絵を出品し、その新鮮さは観客を驚かせた、と書いている。一方、吉原氏も、『わが心の自叙伝三』(昭44、のじぎく文庫)所収の一文で、氏が関西学院大在学中、絵の会で、竹中郁や前田藤四郎(後述)とも交友があったことを記し、大学卒業の月に朝日会館で初の個展を開いたと印している。上山氏とは在学中から足繁く交流し、上山氏を通じて藤田嗣治や東郷青児を紹介されたという。 吉原氏には(※2)、『デモス』の表紙やイラストもよく依頼した、ともある。会館の主催で、西宮球場(今はない)で毎夏、「たそがれコンサート」を催したが、「その大行灯式背景は全部彼のデザインに依っていた。」連載でも書いた彼のデザインになるモダンアートの緞帳は、海外でも評判になったという。 まだまだ紹介したいエピソードはあるが、切りがないのでこの辺で止めよう。 十河氏は奥付略歴によれば、明治37年生れ。著書は他に『ジャワ旋風』『ざら紙随筆』『宣伝の秘密』『名優雀右衛門』『女房おしかの一生』がある。(出版社不明)最後のは小説かもしれない。やはり、幅広い分野に一家言をもっていた人のようだ。朝日の記者時代、ゾルゲ事件の尾崎秀実とは同僚で、いろいろ懐かしい思い出がある由。その尾崎をモデルにした『オットーと呼ばれる日本人』のオットー役、滝沢修も登場し、その、大のカメラ好きぶりを披露している。 |
※1 私は残念ながら展覧会は見逃したが、1994年の芦屋美術博物館で開かれた『知られざる画家 上山二郎とその周辺』展の図録は入手し、愛蔵している。「テーブルの魚」にも大へん魅惑されるが、この中にある机上の文房具を描いた「静物」がいたく気に入り、私が編集した『原稿を依頼する人される人』(燃焼社)のカバー装画に使わせてもらった。全国の読者に、この画家のすばらしさを知ってもらいたいという願いをこめて・・・。 ※2 吉原はまた、当時のロシア・アバンギャルド絵本の影響を受けたといわれる絵本『スイゾクカン』を1932年、創元社!から出版している。稀少本だが、中身を何とか見てみたいものだ。(かなわぬ夢か?) |
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