本文は、詩についてのエッセイを集めた「I ながれの歌」、「II 俳句雑話」「III わが詩わが旅」の三部に分かれている。所々にかなりのスペースをとって、氏の写真や詩集・関係雑誌の書影も載っていて、楽しく読める。各々が起承転結に工夫を凝らした味のある文章だが、中でも井伏鱒二についての二篇や「書物を愛するの記」「盗作について」などが面白い。例えば、「書物を……」では、最近贈ってもらった友人の詩集が未裁断の袋とじなのを見て、戦前の詩歌書にはそれが多かったことを懐かしく思い出す。そして、それら粋をこらした装幀の書物をいろいろ挙げている。佐藤春夫の小説集『みよ子』は高雅な黄色の布装で「オランダの何とか地方に限ってはえる黄色い草花を食べた牛の尿を精製して染めたものだそうであった。」続けて「けれど三円幾らで(約四百倍すると今の値段に近い)、貧書生の私には手が出なかった」と記す。(これは昭和33年に書かれている。)他にも貧乏で買えなかった「台湾産白蛇の皮で装幀したポオの『大鴉』羊の皮装のジイドの『狭き門』」などが幻のように浮んでくるという。こうして見ると、夕爾氏もなかなかの愛書家であったことが伺える。
相当な古書好きであったことは「福山雑記(2)」に出てくる記述でもよく分る。戦時中のこと、空襲前の福山のある古本屋に、歌人中村憲吉の短冊が出ていてほしかったが、交換条件があってあきらめ、『雲母』のバックナンバー30冊ばかりを重たいのに買って帰ったときのことを書いている。そこに「その頃私の第一の趣味は、詩歌の古書を買い漁ることであった。(尤もせいぜい明治以降のものばかりだが)私は近視で視力の乏しいくせに、勘がはたらくというのか、書架の中から目ざとくそれらを見つける能力が人並すぐれていた。同好の友人など、いつも先を越されるので、もう決してお前と一しょに古本屋へ行かないとなげいたくらいである。」と珍しく自慢話をしている。私はここで、立原道造の古本漁りでの達人ぶりを思い出した。ところが前述の追悼集の信来民夫氏の一文によると、100部刊行の処女詩集『田舎の食卓』は信来氏がほしかったので尋ねたところ著者自身もう一冊も持っていなかったそうで、皮肉なものである。 |