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古書往来
41.タイトルにこだわる著者たちの話

「ゆっくりさよならをとなえる」表紙
「ゆっくりさよならをとなえる」
表紙

最後に、現代の若い女性読者に絶大な人気を誇る女性作家、川上弘美さんのエッセイからも紹介しよう。(美人作家の一人!)
例によって私は、彼女の小説は『溺レる』など、わずかしか読んでいない。とても官能的な描写が印象に残っている。それこそ、次々読んでゆけば、彼女の世界に溺れてしまいそうである。用心、用心。エッセイ集『ゆっくりさよならをとなえる』(平成16、新潮文庫)は珍しく新刊書店で買った。川上さんのエッセイや書評はどれも発想が独特で引きこまれる。とくにこの文庫には、本や古本屋、図書館でのことが多く出てきて魅力的な一冊だ。大学時代は生物学を専攻していたという経歴もユニークである。

この中の「本屋さんで」という長いエッセイの一部にタイトルのことが書かれている。
「そういえば、題にひかれて本を買う、ということがあんがい少ない。・・・(略)・・・目をひく題、新奇な題というものが、さほど好きではないらしい。ところが、私自身が自分の小説の題をつけるときには、つい「人を驚かせよう」という娑婆っ気を出してしまう。『蛇を踏む』だの『いとしい』だの、少々ひねった題をつけてみて、しかし後になると、ちょっと自己嫌悪におちいることも多いのだ。」などと。
このエッセイ集にしたって、一昔前には見られなかったような、ひらがなばかりの長いタイトルである。さらに川上さんは、珍しく題名にひかれて買った本として、『ぬっとあったものと、ぬっとあるもの』(ポーラ文化研究所編)をあげている。「大鳥居から太陽の塔、工場の煙突からゴジラにいたるまでの「ぬっとあるもの」を各分野の専門家が大いに論じている本」だそうで、確かにそそられるタイトルである。化粧品の研究所には力のあるコピーライターもいることだろう。川上さんはこのタイトルを「珍奇の中に普遍があるのだ」と言い、「そういう味のある題を、いつか私もつけてみたいものである。」と結んでいる。

以上、少ない事例だが、著者たちは各々書名にこだわり、苦心して付けていることが分かる。当然ながらすべての出版物にはタイトルがあり、その成立には著者と出版社(編集者)のタイトルをめぐる秘められた攻防もあるだろう。何といっても、書名のよしあし、魅力によって売行きに大きな影響が出るのだから、著者も編集者も熱心に、慎重に考えざるをえない。具体的な書名は忘れたが、著者が「あとがき」で、この書名は出版社のたっての要望をやむなく受け入れてこうなったが、本当はぜひ○○の題名にしたかった、と正直に告白しているのを読んだことがある。著者としては自分の考えた題名に執着があり未練が残り、せめて「あとがき」で書き遺しておきたかったのだと思われる。おそらくは出版界では当時まだ実績が少ない著者の方だったかと思う。

反対に、最近私が楽しく読了した出久根達郎氏の、古本好きには格好の情報が満載されたコラム集『本を旅する』(河出書房新社)のあとがきを見ると、その最後に本書も「西口徹さんが編集してくださった。書名も西口さんの発案である。内容を端的に言い現わしていて、著者は大満足のあげく、こんな長いあとがきを記してしまった。」と書いている。いろんなケースがあるものである。


(追記)
前々回の連載で、私は雲英末雄氏も出版界ではまだマイナーな研究者のような書き方をしたが、私の不勉強だった。最近出た『芸術新潮』(6月号)の特集「俳画は遊ぶ」では全面的に解説対談を担当しておられるし、『芭蕉の孤高 蕪村の自在』という単行本も2005年、草思社より刊行しておられ、今後どんどん活躍される方のようだ。ここに訂正しておきたい。

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