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29.戦争末期の古本屋(貸本屋) |
最近、私としては久しぶりにミステリーを続けて読んだ。はまり出すと止められなくなるので、ほどほどにしなければ、と自戒しつつ・・・。 一冊は新刊で買った二階堂黎人(にかいどう れいと)『稀覯人の不思議』(カッパノベルズ)である。 これは、手塚治虫愛好会の会長が殺され、そのメンバーの青年探偵が犯人を突き止めるまでの物語だが、著者自身が小学五、六年生の頃から手塚の古本蒐集を始め、大学在学中は「手塚治虫ファンクラブ」の会長を務めていたという筋金入りのコレクターであり、その長年の手塚マンガへの薀蓄を惜しげもなく披露して楽しげに書いている。 私など、熱心な手塚マンガの読者ではなかったので、手塚本の知らなかった書誌的な数々のことを教えられた。 口絵にも稀少本『新宝島』『メトロポリス』『ローストワールド』などの書影がカラーで載っており、古本ファンの興味がいやがうえにもそそられる。 又、著者があとがきで回想しているように、デパートの古本展初日の古本ファンの生態なども、著者自身の体験を投影して臨場感豊かに描かれている。 伊勢丹デパートの開店と同時に、仲間はエレベーターで、もう一人は階段を七階まで一気に駆け上がった描写は自身の体験に基づくという。 エレベーターへも、奥に先に入ると、出る時に遅れをとるので、後から入るのも作戦の一つ。そこまでやるか、という気もするが。デパート展での初日の古本争奪戦はたしか横田順彌氏なども書いていたと思うが、壮絶なものがあるらしい。 私などは、デパート展に限らず、京都や大阪の古本展でも開店と同時になだれ込んだためしがないので、その風景は活字で想像するしかなく、その意味でも面白い。 それはともかく、この小説の犯人の殺人動機は簡単に言えば、今まで一冊しか見つからなかった手塚の稀少本を持っている男が、新たにもう一冊、古本屋から手に入れた仲間を殺し、その本まで燃やしてしまうというもので、その心理はまあ分らぬこともないが、現代人が金のためにでなく、本のために殺人まで犯すか、というと、どうも現実味が希薄だ。 もっとも、このような書痴同士の嫉妬や虚栄心による殺人事件は西欧の歴史上、実際にも先例があり、書誌学者の翻訳書で紹介されており、内田魯庵も早くに『紙魚繁昌記』で紹介している。又、小沼丹も、この史実にある一八〇〇年代のスペインのバルセロナの学僧による犯罪を下敷にした「バルセロナの書盗」という短編を初期に発表している位だ。しかしこれは、「特殊中の特殊」のケースだろう。 |
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「透明な季節」表紙 |
続けて読んだのが今回のメインである梶龍雄『透明な季節』(講談社文庫、昭和55年)である。 ある日の古本屋で他に何も収穫がなく、せめて一冊、と思い、均一本で買ったものだ。 江戸川乱歩賞受賞作で、予想通りの当たり!だった。<解説>の氷川瓏氏によると、梶氏は昭和34年まで小学館に勤め、「女学生の友」を編集していたというのにも親しみを感じる。 |
物語のあらすじも、氷川氏の巧みな要約を借りつつ、紹介すると、「太平洋戦争も末期の昭和19年3月初め、東京北部にある根津神社境内の池の畔で、ポケゴリという綽名(あだな)で呼ばれる中学の配属将校の射殺死体が発見される。狂熱的軍国主義者のポケゴリは過酷な軍事教練によって、生徒たちの憎悪の的だった。・・・主人公の中学三年生、高志の目を通して事件は展開し、謎はますます深まるが、翌20年3月10日の東京大空襲の前夜、ついに真相が明らかになる。」というもの。 ミステリーとしても無理がなく、上出来の作品だが、私はそれ以上に、繊細で情感のこもった豊かな表現力をもつ文体に感心し、ぐいぐい引き込まれてしまった。文学的な香気という点では私は清張作品にも匹敵するように思う。 物語の背景をなす戦争末期の風俗や、とくに中学の軍事教練、工場への勤労動員、東京大空襲の有様など、おそらく著者の実体験に基づいて迫真的に描かれている。 これらは歴史学者の平板な記述を読むよりよほど実感を伴って生々しく伝わってくる。それに、恋する年上女性との関係描写など、中学生という、大人になりたいがなり切れない、多感で微妙な成長期の少年の心理も巧みに表現されている。 さて、物語に所々織り込まれているのが、本好きな高志(おそらく著者の分身)の読書体験である。新刊本がもうなかなか手に入らない時代なので、同級の友人達や知り合った年上女性の家にある本と自分の本を交換したり、借りてくる場面がよく出てくる。 高志が友人に貸す本は『我輩は猫である』や『三四郎』武者小路の『友情』などで、借りてくる本は菊池寛『真珠夫人』『第二の接吻』、久米正雄『螢草』芥川『湖南の扇』といったものだった。探偵小説も、乱歩、甲賀三郎、大下宇陀児のものなど借りている。 さらには横光利一『月夜』(※)や林芙美子『放浪記』、岡本一平全集(渋い!)も一巻ずつ借り出し、動員先の工場で暇な部門に回された高志はサボリの隠れ場所で一日中読みふけっている。その当時の早熟な文学少年の読書傾向の一端が伺え、興味深い。 ※ これは作者の記憶違いだろう。横光は同題の本は出していない。宇野千代が昭和13年『月夜』を中央公論社から出している。年上の女性の部屋にあったものだから、こちらに間違いない! すっかり小説に溺れ始めた高志は、数軒の貸本屋を利用して読む本を物色する。 少し長くなるが、その部分を引用しよう。 「だが、そのためには、びっくりするような高額の保証金を払わねばならなかった。書籍の出版のほとんど停止したその頃は、古本はべらぼうな値段になっていた。だから貸本屋は、借り逃げを防ぐためにそれを上まわる保証金を要求したのだ。・・・(略)・・・目白にある一軒の貸本屋には、高志のよだれの出るような本が、片側の棚に並んでいた。だが、この店の親爺も因業であった。・・・(略)・・・通路の上に、太い孟宗竹の境を渡して、人を見てそれをあげ、片側の棚の通路に入れるのだ。」 高志はそちらに入れてもらえず、反対側の棚の本ばかり借りていたが、ある日、勇気を出して「いつもむっつりと座っている親爺に、こわごわとむこうの棚の本は借りられないかと切り出した。」親爺は不愛想に「いいけど、保証金が高いよ」と答える。「高志は宝島に踏み込んだ。高志はためらうことなく、一冊の本を選んだ。・・・部厚な背表紙に、褐色の文字で”芥川龍之介集”と書かれた本だった。・・・高志は天にものぼる心もちで、貸本屋を出た。家に帰って、貪ぼり読んだ。」 私も昔、古本屋で手に入れた本だ。大正14年に新潮社から出た芥川作品の一冊本である。その頃の文学少年にとって、文学書を入手するのがいかに難しく、それだけにどれだけ夢中になったかがよく分る。 |
「書痴半代記」表紙 |
実は、これにぴったり呼応する証言が、岩佐東一郎の随筆集『書痴半代記』(東京文献センター、昭和43年)にも出てくる。岩佐は、堀口大学に師事し、エスプリにあふれた詩集を出した詩人で、詩友、城左門と共に文芸誌『文芸汎論』を昭和6年から10余年編集し続けた人だが、大へんな書痴でもあった。また『茶煙閑語』(文藝汎論社、昭和12)や『茶烟亭燈逸傳』(書物展望社、昭和14)などの随筆集で、当時の風俗や映画、演芸、さらに新刊の文芸書をリアルタイムで巧まざるユーモアと芸のある文体を駆使して綴っており、私は昔、古本で手に入れて今も愛蔵している。 前述の愛書家としての自伝に「戦時中の古本屋」なる一文がある。 |
そこには、戦後「書痴仲間が集まってのよもやま話の際、何が一番癇にさわったといえば異口同音に『それは戦争中期から戦後しばらくの間の古本屋の態度だった』ということに帰結した。」とあり、「一例をあげると『交換本制度』だ。店の奥の方にずらりと美本珍本限定本を棚にならべて、その前をシメ縄ならぬ細引きでしきりをつけて一般の客は立ち入り禁止だった。ほしい本が眼についたから主人にいうと『そうだね、これがほしければ、これに代るような本を二三冊持って来てからの相談にしよう』と来る。」などと他にも例を挙げて憤っている。 もう一つ、私が春の京都の古本展で買った古い『彷書月刊』(1988年2月号)にも、宇野光雄氏(出版業)が「幻の古本屋」と題して、氏の戦時中の古本屋体験を回想している。 |
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「彷書月刊」表紙 |
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それによると、氏が中学三年(まさしく小説の主人公と同年代!)だった昭和15年頃には、東京の丸善や浅倉屋、大観堂(古本屋)などにまだけっこう本が沢山あった。疎開が始まり、学徒動員で横須賀に行く19年になると、もう棚がガラガラに空いた本屋が多かった。昭和20年3月の大空襲で家が焼け蔵書が烏有に帰し、小石川の叔父の家に転がりこんだある日、近所の古本屋の薄暗い店内に本が一杯あるのを見つけ、驚いている。 そこに、アトリエ社版の『ゴッホ大画集』四巻と『セザンヌ大画集』三巻を見つけ、「迷った末、セザンヌに決めた。交換を言われるかと例によってオズオズと本を差し出したが、主人は何も言わずに売ってくれた。」という。その頃にしては珍しく良心的な店主だったようだ。 その後、その辺り一帯も空襲ですべて焼け、「しばらくして、あの古本屋は、ほんとうにあったのだろうかと思えてきた。あの時だけ姿を現してくれた幻の本屋ではなかったかと。」と述懐している。 本好きの少年にとって戦争中の古本屋の印象はかくも強烈に残っているものだ。本への渇望も今の若者には想像もつかない位激しかったことだろう。 最後に、蛇足ながら、岩佐氏も書いているように、「戦時中は古本屋に限らずあらゆる商人が『買ってもらう』から『売ってやる』態度で客に接していた」のであり、古本屋ばかりをせめるわけにはいかないことをつけ加えておこう。 |
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